開かれ続ける完全性

ここでは、「開かれ続ける完全性」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているA.Tさんから頂いた感想と無空の返信を、
参考までにご紹介させて頂きます。

A.Tさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
> 第197回セッションもありがとうございました。
>
> 4週間ぶりとなりましたが、その間“在る”に意識を向ける、“在る”そのものである実践が自然に再び起こるようになり、今日のセッションでも、それの浸透、深まりが感じられました。

継続の力の賜物ですね。

そこからさらに変容、成熟が進んでいくでしょう。

参考までに、以前他の方だったかどうか忘れてしまいましたが、返信の際にご紹介させて頂いた「パワーかフォースか」の著者デヴィット・R・ホーキンスのI<わたし>から抜粋させて頂き、

ご紹介させて頂きます。

「けれども、これレベルの進化は通常あまり起こりません。意識レベルが600に達した時点でそこで止まり、
残りの生涯をそのまま過ごす場合がほとんどです。
各レベルの啓示はそれだけで完結していて深い満足を与えるので、その達成感がさらなる意識の進化を停止させてしまうのです。
ほとんどの覚者が600を超えたところで完結するのはそれが理由です。
その状態の至福があまりにも完全なので、さらにその先があるようには見えないのです。
しかしある意味では、その結論は正解です。
というのも、各レベルはそのレベルにおいて完全かつ完璧だからです。
そのような達成感や完了感は、500台の上位以上から現れます。
そこには好奇心も未完了感も残っていないので、先に進もうという探求心が起こりません。
わたしの場合、そこから先の各レベルにおいても、真理に対する開放性は持続していました。
ですからどこかで、完璧に完結しているのではなく、進行中の過程であるということを認識していたのです。
おそらく「自己」がさらなる進化の中で自らの本質と潜在的可能性を表現するために、前進しようとする意志を働かせたのでしょう。
そして、何よりも、おのずと起こる進化の過程に身を明け渡したいという意志が決定的な要素でした。
創造は条件が整ったとき、その潜在的可能性を表現するのです。」

意識レベルが600等は別にして、またはそこに至る前でも、プロセスの中にそれはあり、様々なレベル、段階でそれは起こるとも言えますが、

ある程度の満足、あるいは、様々な段階の満足が得られると、自然に意識的な実践が起こらなくなる(あるいは、あまり起こらなくなる)ということがあります。

さらに開かれる可能性がある方で、それを閉ざさない方のサポートとしても、ゼロ意識共鳴は存在しています。

それ(在る)が、ある程度自然なものとなった後、さらに意識的にそれを深めるような動きが起こるのは、さらに進んだ段階とも言えるかもしれませんね。

そこには、「まだ」というマインドは残っておらず、ただ開かれた「開かれ」が在るだけです。

完結し、(さらなる開かれに対して)閉じる場合(閉じて、完全性、完璧性の質がより強く表現、実現される場合)と、開かれ続ける場合があります。

(完全性、完結性、完璧性等も実現されながら、開かれ続けます。開かれた完全性、柔らかさを伴い、無限に成長する完結性、無限に深まり、無限に広がる完璧性です。)

>
>
> 共鳴では、ただ在るそのもの
>
> 直接そのもの
>
> 直接の気づき
>
> 全受容そのもの、全受容されるすべてそのもの
>
> として在りました。

とてもダイレクトで全体的で大きな感じがしますね。
>
> ゼロ意識共鳴の大きさが改めて認識されました。
>
> 次回もよろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願いいたします。

無空
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