ただ存在するだけで、癒され、至福を感じられるって、本当にすごいです。

ここでは、「ただ存在するだけで、癒され、至福を感じられるって、本当にすごいです。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているHiraraさんから頂いた感想と無空の返信を
参考までにご紹介させて頂きます。

Hiraraさま

感想ありがとうございました。


> > 無空さま
> >
> > こんばんは。
> > 前回のセッションの感想を送ります。
> >
> > 共鳴
> > 『 軽やか  拡がる意識 』
> >
> > アイコンタクト
> > 『  透明な愛  』
> >
> > 瞑想
> > 『 解 放   自 由  』
> >
> > ハート
> > 『 至 福   喜び   』

前回も全体的に素晴らしい共鳴でしたね。
> >
> >
> > 心が穏やかで、意識の拡がり、そして、1つ
> > を感じました。
> > 忘れるのも早くなってますが(笑)

忘れるのも在るの力です(笑)
> >
> > 在るを実践していると、ふっと深まる事がありその時は、
> > 何にも無いんですよ。無い感じなんです(本当に)笑

とても伝わってきます。
在るとは、相対的な「ある」、「ない」ではありません。
在るの在り方のひとつとして、(絶対的な)「無い」があります。

(在り方のひとつという表現をしましたが、同時にそれがすべて、
それですべてでもあります━ひとつの在り方が他の在り方のすべてを含んでいます━。
すべてのすべて、あるいは、無限そのものでもある在るのそれぞれの側面ひとつひとつ、
それぞれの在り方ひとつひとつは、すべてそのような在り方をしています。
そのような視点、理解からは、「無い」のひとつの在り方として、「在る」があります。
というような表現でも、まったく同じなのです。)
> >
> > 呼吸が、おへその下まで、尾てい骨まで、
> > 深く、深く、浸透していくような、
> > そして、呼吸していることも忘れるくらい
> >
> > ここはどこだろう。
> > (調べてみても)
> > どこでも無 い感じです。

はい、それは時空、現れを超えていますので、特定のどこという認識はけっして起こってきません。
そこには、こことあそこというような2点がありません。

どこでもなく、誰でもないもの、それがすべての現れの源、原初そのもの、
ニュートラル、空、無、実在、全体、愛、生命、真・善・美・・・
それは、(現れを含む)すべてを支え、すべてに浸透し、すべてを育み、すべてを包んでいるものでもあります。
どこでもなく、誰でもないものだからこそ、どこにでも在ることができ(どことしても在ることができ)、誰にでもなることができます。
また、同時に現れているすべてとして、現れている世界全体として起こってくることができます。

本質的で、普遍的なものとは、そのようなものです。

また、「調べてみても」がよかったですね。
それであるとき、そこにあるときに、その視点、その理解から、あるいは、その視点自体、その理解自体を
調べてみる、認識してみることは(これはマインドを活発に働かせていくこと、重ねていくこととは違います。)、
それそのものの理解を深め、広げる等の点で、とてもよいことです。
> >
> > ただ存在するだけで、癒され、至福を
> > 感じられるって、本当にすごいです。

もっとも単純、もっともシンプルな在り方、
あるいは、単純さそのもの、シンプルさそのものの中に(癒し、至福その他)すべてが在ります。

また、ただ存在するだけとは、イコール(特定の誰かではなく)在るで在ること、
それは、真の自己であること、
ただ自分自身であること、
それがすべてを為していきます。
在ること、無為(相対的な行為、無行為を含み超えた真の無為)が、(癒しその他)すべてを為していきます。
> >
> > 今回のセッション時にお話をしましたが、
> > 記録として、こちらへも再度書かせていただきます。
> >
> > 公園を散歩し、読書をし、空気や風を感じながら
> > 瞑想に誘われ、目を閉じると、久しぶりにチャクラの色を
> > 見せられました。
> > 蛍光ペンのような、黄緑、赤、オレンジ、黄色、
> > どれもとても優しい色でした。
> >
> > 見たいと思うと見えないのですが(笑)
> > 見せられた、この感じは、在るであり、
> > ハートと繋がり、とらわれていない純粋な意識
> > だから、見ることができた(見せられた)と感じました。

はい。
在るが自分自身に見せた、とも言えますね。
> >
> > こういった時は、思考ではなく
> > 感覚的に一瞬で理解が深まります

直知、直覚、体験即理解、実感そのまま理解ですね。
> >
> > そして過ぎ去 っていきます。
> >
> > 最近、長く瞑想が出来たことよりも、瞬間、瞬間の今に
> > 深く在る事の方が嬉しいです。

「長く」というのは、時間であり、その認識をしているのはマインド、
(もちろん良い悪いはなく、それがマインドの自然な働きです。)
瞬間、瞬間の今に在る(今=在るであり、今にある特定の誰か、個別の誰かではありません。)、
または、瞬間、瞬間の今であるのは、在る(愛、至福そのもの)ですね。

在るにとっては、長い時間も、一瞬もまったくまったく同じです。
(一瞬=永遠、真の永遠は時間の長さの延長上にあるものではなく、時間を超えています。)
ですから、ある素晴らしい状態に長くとどまりたい、ずっとこのままでいたい、
というのは、マインドであるということが理解できると思います。

(快適さ等相対的によい状態を好む自然なマインド━肉体的な生存本能等も含む━です。
また、本質、源、純粋な事実としての在るの中にも、それ自身と不可分な状態、在り方で、
純粋な「在りたい」、純粋そのものとしての「在りたい」が在ります。
マインドの「ずっとこのままでいたい」等は、純粋な「在りたい」のひとつの現れ、
それが時空の中に現れたときにとられる美しい無限のバリエーションのひとつ、
純粋な「在りたい」の現れと、現れの世界における様々な関係性、環境、
個々の気質、プロセス、成熟度合い等様々な要素が総合された自然としての現れと言うこともできます。)

また、本質である在るをマインド、肉体等含む現れ全体に浸透、統合させていく上で、
在るに何度も戻る、在るであることを重ねていくということは大切です。
そのような意味で、在るであることを長くキープする、長い時間瞑想するということも
ひとつありますが━極端に長い瞑想、長期間の瞑想などを指導者等なく個人で実践すると、
バランスを崩したりすることがあります。
また、「キープしよう」が、ときに、よりマインドを強くする可能性もあります━
無空庵では、長い瞑想等ではなく、日常の中で、在ると現れを何度も行き来することにより
━気づいたら在るに戻る━、
より自然な統合、自然な浸透、日常そのもの、自然そのもの、真の在るがままの実現を促していきます。
そのような意識が自然に起こった場合は別として、在るを長くキープしようというような意識はせず、
ただ気づいたら在るに戻る━一瞬でも━、それをシンプルに繰り返します。
瞑想を習慣にされている方もそれを好んで実践されているのであれば、
それも継続しながら、日常での在るの実践を繰り返して頂いております。)
> >
> > 仕事の面でも、 A゜ という評価をもらうことができ、
> > 無空さんと喜びをシェアした事で、さらに喜びが増しています。

喜びのシェアは、喜びの共鳴にもなりますね。
> >
> >
> > 無空さんのセッションに感謝いたします。
> > 無限の深さ広さ、ただただ、愛を感じます。
> >
> > 今週末もよろしくお願いいたします。
> >
> > Hirara

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
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