真空である私を感じました

ここでは、「真空である私を感じました」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているまるこさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

まるこさま

感想ありがとうございました。

> > こんにちは
> >
> > 先ほどは、ありがとうございました。
> >
> > 身体の異変?発散?浄化?
> > 突き上げてくる、マグマような
> > 感じで、爆発しそうな、圧力鍋の蓋が
> > 開いたような。。感じが続いてる、頭とお腹は収まりましたけど
> > というお話しと。。

浄化のプロセスが進みながら継続している、という感じですね。

> > 色んな方と、コミュニケーションしても
> > 全く、ジャッジしてない。。私がいるというお話しを
> > しました。

変容が進んでいますね。
> >
> >
> > セッションでは、在るさえもない
> > 何か、真空である私を感じました

素晴らしいですね。
そして、それも在るです(笑)

> > 私=真空 という感じです。
> > 死んだら、こんな感じなのかと
> > ふと思いました。

本質的な視点からは、今もそれです。
> >
> > 身体が無くなってしまうのは
> > 死への恐怖。。
> >
> > 身体への執着についても思っていました。

身体が起こっているうちは、
それを維持し、守っていくために必要な本能や
習慣等は大事ですが、必要以上の執着があると
苦しみ等も生まれてくる可能性がありますね。
> >
> >
> > 真空であることは、只々、ただ
> > 在るということもないのだ。

そうですね。
そして、本質的には、ただ=在る=真空(空) です。

真空は、本質、そして、すべてのすべてとしての「それ」の
別の表現としての「在る」、
存在しているという実感、認識、事実、その側面の方に焦点を当てて
「それ」を「在る」と呼ぶときの「在る」よりも大きな意味合いがある「在る」、
「それ」の別の呼び方、「それ」の代名詞としての「在る」、
「それ」の様々な在り方の総称として呼んでいるときの「在る」の在り方のひとつです。

(在るの在り方のひとつひとつが、それぞれすべてでもあります。)

> >
> > 在るさえもないという
> > 感覚が、とても、新鮮で
> > これが、私らしいのではないかと
> > 時間が経つにつれ、思ってきています。

本質、真の自己であるときには、私らしいという感覚、思いが起こってきますね。
「それ」には、様々な在り方がありますが、それぞれの現れた存在にとって、
よりその方らしい在り方、あるいは、そのときそのときで
(「それ」は無限に更新されていきますので)よりその方らしい在り方
というものがあると言えます。
> >
> >
> > 身体も多少、楽になってきたように
> > 思います。

よかったですね。
> >
> > まるこ。

ありがとうございました。

無空
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