あっと言う間にものすごいエネルギーに包まれ 心地よい個が消えているセッションでした。

ここでは、「あっと言う間にものすごいエネルギーに包まれ 心地よい個が消えているセッションでした。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているHiraraさんから頂いた感想と無空の返信を
参考までにご紹介させて頂きます。

Hiraraさま

感想ありがとうございました。

> 無空さま
>
> 感想を書こうとした今、この瞬間に共鳴が起きています。
> ですので、少しこのまま、浸りたいと思います
> ( 3月22日 am 9:29 )

意識を向けると自然に起こりますね。
本質がより開かれ、とても活性化していますね。
意識を向けたものが活性化します。

補足:存在の立ち位置がしっかりしている上で、純粋な意識の力、意識の光を当てられると、自然に活性化するものは活性化し、不用なものはただ消えていきます。

(起こってきているものにより、すぐ消えていくものもあれば、起こってきているもののエネルギーがあるだけ存続し、その後消えていくもの等色々あります。
それは、立ち位置や理解等の確かさや深さによる力と起こってくるものの強さ等の関係にもよります。)

立ち位置が不安定だったり、気づいている主体にマインド的な執着等がミックスされてあれば、不用なものにも力を与えてしまうことがあります。

(在るは、今全体としてどのような状態、どのような在り方であるのかを純粋に表し、実現します。
ある意味、今どのような状態、どのような在り方であるのかを純粋に映し出す鏡としての役割、側面を持っているとも言えます。

ただ、ここで注意して頂きたいのは、全体と分離されている個人の純粋な状態というものはありません。
実際は、全体としてひとつであり、現れた存在のすべてのすべてが無限に関係し合い、影響し合っています。
あるいは、より本質的には、全体性、多様性、関係性そのものだけ、そのものの状態だけがあるという言い方もできます。

個人の内側が外側に反映されている、それが世界となって現れている、

━個人のフィルターを通して解釈されている、個人の立ち位置を通して認識され、感じられ、体験されている、
という言い方の方がより適切であるように思いますが。━

という考え方、視点もあり、
そのような要素もひとつあるとも言えますが、ひとつの言い方をすれば、
個人の内側で感じられるものは、個人固有のものだけではなく、
あるいは、完全に独立してある個人固有のものなど何一つなく、全体の状況も含めたもの、その一部が感じられ、認識されている、という理解もひとつ持たれておくとよろしいでしょう。

内側で起こっているものを所有する個人がいないのであれば、そこにはただ状況と、その純粋な認識、気づきの光、愛だけが在ります。
変わらない本質、すべての現れの源としての在るの視点、それ自身から起こるものを所有しない在るからすれば、

━現れの源であり本質としての在るの立ち位置と同時にある、現れも含めたすべてであるという視点からは、
すべてがそれ自身でもあるので、所有という認識自体が起こりません。━

個人で言うところの内側、内側の思考等も、ただ近くにあるもの、近くに感じられるものという認識にもなります。

加えて、理解が極端にならないように、あるいは、ある意味片側だけにならないよう補足しておきますと、
本質としての在るの視点からはそのようでありますが、
現れを含めたトータルな在るとして在るとき、関係性、流れ、展開、自然な文脈の中では、
━透明な━個人としての“私の考え”等の認識、そして、その表現というものは自然に起こってきます。

━例えば、考えではなく、誰かが間違って、Hiraraさんのものを自分のものと勘違いして
持っていこうとしていることに気づいたときなどに起こる、“私のもの”という純粋な認識等です。
このように、現れ起こっている社会生活、関係性の中では、自然で必要な個人認識、個人感覚は、状況により、その都度自然に起こってきます。
すべてのすべてある在るからは、状況に応じ、適切に自発的にそのように起こってきます。
名前を呼ばれたら応えられるそれがそれです。
でも、よく見るとそこには誰もいません(笑)
それは、在るの一時的な現れ、起こり、あるいは、ただそこにそのようにあるように感じられるものでありますが、
本質である在る、純粋な気づき、純粋な主観性そのもの、真の自己、真我自体が変わらずに在り続けて在りますので、
継続感、あるいは、継続性、または、永遠性そのものがそこに在り、
そこにマインドが、考え、観念、記憶、身体や環境等の継続とともに個人が継続しているという理解を付け加え、個人体験を実現しています。
そのようにして、在るは個人を体験し、味わい、その立ち位置、理解を学んでいます。━

注釈が長くなってしまいましたので、必要なところを再掲させて頂きますと、

現れを含めたトータルな在るとして在るとき、関係性、流れ、展開、自然な文脈の中では、
━透明な━個人としての“私の考え”等の認識、そして、その表現というものは自然に起こってきます。
それが多様な現れや関係性等をも含めた全体としての自然、
起こるものをすべてを含み、そして超えた在る、
本質と現れが統合された在るの自然な在り方です。

━その中には、様々な理解、様々な立ち位置が含まれて在ります。━

そしてそれは、真にシンプルで自然、真の在るがまま、起こるがままの実現です。

ここではじめにお伝えしたかったのは、ある意味、個のレベルで完全にクリアになったとしても、全体の状況の中で、
あるいは、純粋な関係性の表現等として、様々な思い、感情、自然な反応等も起こってきて、認識されることがある、ということです。
そのような理解ももたれておくとよろしいと思います。)

補足の部分が長くなりましたので、その以前の必要な部分と補足の一部を抜粋し、再掲させて頂きます。

意識を向けたものが活性化します。

補足:存在の立ち位置がしっかりしている上で、純粋な意識の力、意識の光を当てられると、自然に活性化するものは活性化し、不用なものはただ消えていきます。

立ち位置が不安定だったり、気づいている主体にマインド的な執着等がミックスされてあれば、不用なものにも力を与えてしまうことがあります。

どのような在り方、どのような立ち位置、理解であって、
何に意識を向けるか、ということが大切です。
>
> ===================
>
> 仕事の休憩中に忘れないよう感想を書き始めたところで
> 上記のような状態になり、一度中断し、
> 2日後の今日、感想を書き始めています。(笑)

熟成されていますね。(笑)
>
> 在るそのもの、と同時に
> 思考停止(考えられなくなる)が起きました。
> (でも、その後しっかり仕事は出来ました^^)

(これまでもご自身なりに進んでこられた経験から、
自然度合い、統合度合いも進んでいますね^^)
>
>
> このまま在るでありたいという、それすらも
> 選択する思考が働かない感じでした。
> (言葉にできない至福感)
> この辺については、次回のセッションの際に
> 詳しくご報告いたします。

はい、かなり強烈な(濃厚な)共鳴が起こっていましたね。
ご報告を楽しみにしております。
>
>
> セッションのスタート直後から共鳴エネルギーに
> 一瞬で包まれ、 温かく(ハートも身体も)、
>
> 『あぁ・・・・・ 溶ける・・・・とろける・・・・』
>
> 溶けるという感覚を言葉にしていますが、
> 実際には表現を超えている状態でした。

即その状態に入って行かれましたね。
>
>
> アイコンタクト
> 『身体が軽くなり、消えそう・・・・』
>
> 瞑想
> 『 宇宙 』
> 何か、枠が外れた感じでした。

必要で自然な流れ(愛)が起こっていましたね。
在るの力、在るの愛、
愛である在るです。
>
> ハート
> 『愛そのもの』

全体を通しても、透明度合い、純度が高く、
愛、慈愛の感じが継続して在りましたね。
>
> 全体としては、
> 第一チャクラから軽くなり、天と地の分離がなく
> 広くどこまでも、在るそれそのものが在る
> 身体という感覚を越えていました。

まさにそのようでしたね。
>
>
> セッション後も、40分ほど1人部屋で在るを
> 楽しんでからお出かけしました。(*^^*)

お時間があれば、そのようにされることも
在るの浸透をよりスムーズなものにしていくことの
助けになります。

また、在るで在ること自体が全体(自分自身であるすべて)にとって、
とても大きな影響があります。
>
> 無空さんとの前回のメールのやり取りで
> 理解が深まったことや、共鳴前の
> 会話がとてもリラックスでき、あっと言う間に
> ものすごいエネルギーに包まれ心地よい
> 個が消えているセッションでした。

はい、そのものでしたね。
>
> 今回も深い愛あるセッション、ありがとうございました。
> 次回もよろしくお願いいたします。
>
>
> Hirara

こちらこそよろしくお願い致します。
ありがとうございました。

無空
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