「自分はやはり、なんでもないんだ」ということが腑に落ちました。

ここでは、「「自分はやはり、なんでもないんだ」ということが腑に落ちました。」 に関する記事を紹介しています。
こちらは、無空庵第一ブログに載せていたみずほさんの体験談(2014年10月11日掲載)を移設したものです。

(無空庵第一ブログにあるこれまで皆さんから頂いたセッションの感想のうち、主に新しい方のものからひとつかふたつ、こちらのブログに移設させて頂いております。

それ以前のものは、無空庵第一ブログの左サイドバー「カテゴリ・■セッション体験談・他のみずほさんの体験談・他のところにありますので、ご参考になさってください。)

第一ブログ案内1-2

(上記ご案内はリンクになっておりませんので、お手数をおかけいたしますが、URLを入力、あるいは、「無空庵」等で検索して頂きますようよろしくお願い致します。)

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今回は、セッションを受けられているみずほさんから頂いた感想と無空の返信を参考までに、ご紹介させて頂きます。

みずほさま

感想ありがとうございました。

> > 無空さま
> >
> > 3ヶ月の最後のセッションでした。
> >
> > この1週間で「自分はやはり、なんでもないんだ」ということが腑に落ちました。

はい、それ(真の自己、真我、在る、気づいている意識)は何ものでもないもの

純粋性そのもの、あるいは、純粋な存在性そのもの

存在を存在させる力、愛

純粋性をそう在らしめるもの

それをそれ足らしめるもの

原初のもの。

そして、すべてとして現れることができるものです。

> > 自分は特別な存在ではない。それでいいんだという感じです。
> > 同時に、一瞬一瞬の尊さを感じる場面もあり、日常のなかによろこびを感じてい
> > ます。

素晴らしいですね。
それは、普通、自然そのものであり、同時に、とても素晴らしく、尊く、
かけがえのないものでもあります。
それなくしては、何も存在しません。
それなくして、何かを味わうこと、何かを体験することは不可能です。
それは、存在を可能にするもの、体験を可能にするもの、
そこには無限の可能性があります。
そこからすべてが生まれてきます。
> >
> > そうなると、自分が他者に何かを提供しようというエネルギーが起こらず
> > 仕事はそのまま放置している感じです。

これまでと認識、視点、理解、あるいは、立ち位置が変わってきたため、
これまでのようなマインドの起こり方が起こらなくなってきている状態ですね。

それでも在るは全体であり、ひとつであるもの、そしてそれがひとつであるまま
多様に現れたものが世界とも言え、それがそれ自身である在るの中で展開していきます。

その展開の中には、今、この現れた世界の様々なところ、
様々な領域(すべての領域と言ってもいいかもしれません)で起こっているように、
提供し、提供されるということが自然に起こっていきます。

それは、在るの自分自身への愛であり、ひとつであるそれ自身の中でのバランス作用であったり、
それ自身を無限に知っていくこと、体験していくこと、味わっていくこと、
それ自身の成長、更新、無限の深まり、また、学びであり、あるいは、ただ単に遊び、戯れとも
見ることができます。

在るそのものであり、在るの現れでもある存在が、何かを提供したり、されたりするということは
とても自然なことです。
それはただ起こっていきます。
それは今この瞬間でさえ、微細なレベルで起こっています。
起こり続けています。

存在は存在しているだけで、愛し愛され、支え支えられ、育み育まれ、包み包まれ、
提供し提供され続けています。
そしてそれが必要なときには、自然に言葉となり、行為、行動となり起こっていきます。

それが在るであり、在るの在り方です。
それがただ在る、在るである、自分自身であるということでもあります。
> >
> > 共鳴♯13
> >
> > 全体:マインドのおしゃべりのあと、静けさが起こりました。

いいですね。
静けさははじめからあり、その静けさの認識が起こったという感じかもしれませんね。
(感じとしては、まさに「静けさが起こった」という感じかもしれません。)
> >
> > アイコンタクト:意識の中心と共にあることをしてみました。
> > 後頭部に意識があるとすると、マインドのおしゃべりはハートのあたりにありそうで
> > やはり意識とマインドは「別モノ」なんだな~と感じました。

よい理解が起こりましたね。

> >
> > 瞑想:意識の中心を探すと最初は頭上にありました。
> > その中心の動いていくさまを追っていくと、目の奥にたどり着きました。

意識、在る(非在、非実在を含む)、真我、無、空、愛の在り方は無限です。
意識という角度から認識すると、その中心やある一定の場所あたりに感じたり、
それが移動したりということもあるかもしれませんね。
ときには、それは全体そのもの、広がりそのものと感じられることもありますし、
中心がなかったり、あるいは、すべてが中心と感じられることもあります。
どれも間違いではありませんし、そこに優劣もありません。
ただ、ひとつの体験をもとに、その体験だけに在る(意識、真我、愛)を限定してしまうと
それであるものとそうでないものができてしまいます。
在る(意識、真我、愛)はすべてであり、それでないものはありません。
すべてはそのバリエーションです。
また、立ち位置、視点の違いにより、それが様々それぞれに見えたり、体験されたりします。
どこに焦点が当てられているか、どのような理解を持っているか、どこに重点が置かれているかで、
無限にやわらかく、無限そのものでもある在るは、いかようにでも振る舞います。
ある意味、その理解をもとにバランスされた世界をつくり、
(自分自身に)世界(理解に基づく世界、あるいは、理解そのもの)を体験させる
とも見ることができます。
(その理解が本質、自然からはずれていたり、かけはなれていたり等の場合は、
それに気づくような体験や世界が形作られることもあるでしょう。)
そしてその理解が本質的でトータルなものであれば、その存在はとても安定して在れるでしょう。
> >
> > ハート:自分がハートにあることを意識してみました。静かであたたかい印象で
> > した。
> >
> > 立場を変えて:ここでは意識の中心が無く、全体的な感じでした。

それもよい体験ですね。
> >
> > ニュートラル:圧倒的な静けさがありました。

素晴らしいですね。
それは、すでに在り、それをどこまで感じ取れるか、
あるいは、すでに無限の可能性そのものとして存在しているそれを
どこまで引き出せるか、どこまで知っていくことができるか、
どこまで実現できるか、というように見ることもできます。

そのような点で、みずほさんは、回を追うごとに
静けさが深まっていますね。
共鳴の中で、深い静けさを実現されています。
そして、その静けさは、セッション内にとどまらず、全体へと広がり、
浸透していきます。
また、日常でも実践を継続されることで、それが存在全体へと浸透し、
日常でも深い静けさが実現されるようになってくるでしょう。
話していても、そうでなくても、大きな声を出していても、そうでなくても、
行動していても、そうでなくても、その静けさは、その存在から全体へと響き渡っていくでしょう。
> >
> >
> >
> > この3ヶ月で、ものすごく劇的な体験はありませんでしたが
> > マインドをオフにすることは簡単にできるようになりました。
> >
> > とらわれから抜けることができる
> > そのようなすべを持てることは
> > 人生において、とても大きなものだと思います。

そうですね。
> >
> > わたしは、これからの方向性に迷いがありました。
> > 覚醒に関することをやりたいと思うのか、そうでないのか。
> >
> > そして、それはセッションを受けるなかでの
> > 体験によって、わかるだろうと思いました。
> >
> > そして、3ヶ月がたち、執着が落ちました。
> >
> > 大きな覚醒体験を追い求めることは
> > もうしばらくはないだろう、と。

体験、実感に基づく理解が必要であるとは言えますが、
それが必ずしも劇的なものだったり、大きなものであったりする
必要はまったくありません。
小さくても地味でも、実感、体験を重ね、その理解が確かなものとなり、
その理解が存在全体に浸透し、存在全体が変容、真に成熟していくことの方が
はるかに大切です。
> >
> > 静かな世界があると知った上で
> > 喧騒のなかで遊んでいようと思います。

はい、理解があると、知っていると
遊ぶことができますね。
そこに余裕が生まれます。
そして、その理解が真のものであれば、
真の余裕が生まれます。
理解が深ければ深いほど、
余裕もまた、大きく深いものとなり、
大きく深く遊ぶことができるでしょう。
> >
> > この3ヶ月で、喧騒の中にいること
> > その尊さがよくわかるようになりました。

源と現れ、静けさと喧騒、それは同じものの二つの相、側面とも言えますね。
源がそれ自身は変わらないまま現れ、それ自身を体験し、それ自身を味わい、
それ自身を知っていきます。
また、色即是空、空即是色の視点からは、
源即現れ、現れ即源であり、
どちらが主であり、どちらが従ということもありません。
源は現れであり(現れとなり)、現れは源です(源となります。)。
互いは互いを支え合い、ただひとつであるものとして、それ自身をより深く知り、
それ自身を無限に実現していきます。
> >
> > 無空さんのセッションを通じて
> > 覚醒体験のあと、体験者はどこを目指していくのかがよくわかりました。
> > それを知ったからこそ、焦ることも無くなったのだと思います。

よい理解がありましたね。
> >
> > 無空さんは、エネルギーワーカーのように
> > エネルギーを飛ばしてもこないし
> > 相手を依存させることもない。
> >
> > その独特の立ち位置に触れることができたことも
> > 大きな体験でした。

在るはただ在るだけですが、
その在り方は無限であるとも言えます。
無空庵の在り方、視点、理解、立ち位置も
無限にある在るの在り方の中のたったひとつです。
> >
> > 今後の私にとっても、大きな収穫となりました^^

無空庵の在り方が、何か参考になられたのでしたらよかったです^^
> >
> > 3ヶ月間、支えてくださり、どうもありがとうございました。
> > また、自分が変わるときに、お世話になるかもしれません。
> > そのときは、どうぞ宜しくお願い致します。^^
> >
> > みずほ

こちらこそよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。

無空
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