フーマン|無空庵

ここでは、「フーマン|無空庵」 に関する記事を紹介しています。

フーマンのご紹介


(こちらの記事は、無空庵第一ブログから移設したものです。)

フーマンは、「恩寵の扉が開くまで」という本を参考本のところでご紹介させて頂いておりますが、内容は、とても分かりやすく、かつ、深いです。
同じ真我(フーマンは、「真実の自己」、「これ」等表現していますが。)、本質について語っていても、その存在の意識、自己理解の深さにより、響き方、伝わってき方が違います。
その点、フーマンはとてもクリアで深く、また、トータルで、そして、とても愛に溢れた存在であるということが本を読んでいても伝わってきます。

「恩寵の扉が開くまで」にあるフーマンのプロフィールをご紹介いたします。
フーマンは、1964年、イラン生まれ。米国の大学を卒業し、エンジニアとしてボーイング社に勤務。
子どもの頃から聖なる次元への回帰願望が強く、27歳のある日、ごく自然な形で光明を得る。
最初はシアトルで魂を覚醒へと導く教師として教え、後にハワイ島へと移住。2005年、7月に他界する。

わたしは、無空庵として現在のゼロ意識共鳴セッションをスタートさせる前に、
整体院をしながら、理解があり、必要であると思われる方に個別の共鳴を行っていました。
それは、当時、覚醒に関するセミナーに定期的に参加していて、
そこで主に大人数に対しての共鳴という形で行われたいたものを、
自分なりに、個別の形で、言葉等も使い、導きながら行っていたのですが、
その当時出会った本が、フーマンの「恩寵の扉を開く」でした。
それを読み、今、自分が行っている共鳴ととても近いものを感じ
(わたしは、フーマンのようなサイキック的な能力はまったくありません。
あくまで「真我」、「これ」に気づく、覚醒することのサポートという点について「近いものを感じた」ということです。)、
自身のスタイルを確認できたという記憶があります。
また、フーマンのスタンス、在り方に関しても、共感できる部分が多かったということも覚えています。

フーマン「恩寵の扉を開く」から


では、そのフーマンの「恩寵の扉を開く」から、何か所か抜粋し、ご紹介させて頂きたいと思います。

「恩寵の扉が開くまで フーマンとの出逢い」より

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フーマン
すべて、本当の真実に目覚めたの存在のメッセージは、いつでも唯一「愛」だけだ。
「愛」は単なる感情的なものではない。
それは「知っている」というフィーリングであり、この宇宙において本当の真実は何か、
すべての宇宙の中で何が真実かを知っているもの、それが愛の源泉だ。
それは、「現象世界に顕れない真実」だ。
それが「愛・ワンネス・真実」であり、あなたはそこへ向かっている。

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フーマン
「あなたが」その深さやスペースを継続して体験するというのではない。
 従来の体験からすべてが切り離され、あなたの中に全く新しい存在(being)が開いてシフトするというものだ。
 そうだったろう?

━まさにそのとおりです。

フーマン
私は、そこへあなたを導こうとしている。
しかし今回はそれを「永続的」にしたい。
そこに到達するには、もっとあなたが開き、あなたの中ですべてがシフトして「逆転」しなければならない。
 それが起こるには、しばらくは「自分が宙ぶらりんな状態」に留まる必要がある。

 なぜならその深さを体験する「主体そのもの」がワークされなければならないからだ。
 その深さそのものは、体験者の周りに既に存在している。
 しかしそれを認識する主体がワークされて、開かれる必要があるという事だ。

 もしあなたが「数か月前と比べて自分というものをあまり認識しなくなった」と感じ始めたら、それが自分に変容が起こり始めたと知る時だ。

 マインドを超えるという事。
 マインドの領域に留まっていては、変容は起こらない。

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フーマン
ただ「あなた自身で在る」事、実はこれこそがスピリチュアルに得る事の出来る、最も高次のものだ。

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フーマン
本当のあなたは(それはノーマンドであるが)、例えば「純粋な気づき」に限定されるものではない。
「絶対の境地」であったり、「純粋な愛」であったり、様々な違った要素を持っている。

しかしそれらは同じものであり、同じエッセンスだ。
その事が解るだろうか?
その事について、決して混乱してはならない。

今後どんなシフトや違ったレベルの体験を通り抜けていこうとも、それは同じエッセンスの変化だ。
つまりキヨタカでないもの、個としての自己ではない「より広がった自己」の変化である事を知りなさい。

これが自己理解(Self-Realization)の始まりだ。
自己理解とは、真実の私つまりキヨタカではない自己を理解する事であり、それには違った姿がある。
 時には「強烈な愛」として、時には「存在の神秘」として、時には「源泉での深い寛ぎ」として、そして時には「理由のない幸せ」として体験する。

しかしそれらは同じだ。
つまり同じものが違った顔つきをしているという事だ。
この事が分るかな?

━ええ、なんとか・・・。

フーマン
この事は非常に重要だ。
このシフトが起こって初めて、「スピリチュアルな道」が本当に始まる。
それまでは、あなたはただマインドの中にいる。

私の言ってる意味が分るかな?

それが起こるまでは、あなたは探求している。
このシフトが起こった後は、その「反対側」へもっとアクセス出来る様になる。
それこそが「自由」だ。
キヨタカからの「自由」だ。

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フーマン
「これ」が、真実の自己のエネルギーが、仏陀の本性が、あなたのパターンを洗い流す。
「これ」は、あなたを存在の自然な状態へと引き戻す。
それはただ「自分自身で在る」という事だ。

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━つまり本当の私(Real Me)は境地を超えているのですね?

フーマン 
イエス。
たった今あなたが体験している「これ」は「境地」だろうか?
よく見て欲しい。
いや、それは境地なんかではない。
それは「本当のあなた」だ。
それが、解るだろうか?

「自己理解」あるいは「悟り」とは、境地ではない。
それは境地を超えている。
あなたは夢から抜け出す。
境地はまだマインドに属している。
吸収のレベルは瞑想に属している。

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フーマン
深く瞑想していない人々や、マインドの強い人々は、ステートオブプレゼンスのワークや「絶対の境地」へ入るワークをして、
瞑想の境地を体験する必要がある。
しかし、それではマーヤからの目覚めは起きない。
マインドからの繋がりを絶つ事はできない。
あなたのマインドは、ただ一時停止状態になってまだそこにあり、戻るチャンスを伺っている。

それはサマーディ(三昧)に入っている人々を見るとよく解る。
どんなに深いサマーディに入っても、そこから出たとたん、マインドがただちに戻ってくる。

(フーマンは実際にインドに長期滞在して、サマーディに入った聖者に何人も会ったそうだ。)

だから、あまり長いリトリートはする必要がない。
例えば10日とか21日間のリトリートをすると、マインドが脇に追いやられて一時停止状態になるので、素晴らしい体験をするだろう。
全てがクリヤーで、無心の境地を体験する。
しかしそれは、マインドの集中と一時停止による効果に過ぎない。

それは、「真実の自己」の目覚めではない。
そこには「自己に対する理解」がない。

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フーマン
解放への究極の道は、「自己理解」にある。
ノーマインドに到達して、本当にマインドが落ちる事でそれが起こる。
それは、長時間坐ることで起こるのではない。
また、瞑想でなんらかの境地に到達する事で起こるのでもない。

そうではなくて、成熟する事で起こる。
成熟すると、あなたは恩寵を受け取る。
その時にのみ、それが起こる。
それが起こるまでは、準備をして成熟する事が必要だ。


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最近のセッション例(記事投稿したものから一部抜粋させて頂いております。)

T.Sさんから頂いたセッションの感想 (2017年9月3日投稿)

いつものように、背中側の空間に強い存在感がありました。
"空間が気持ちいい"という感じが不思議です。

まるこさんから頂いたセッションの感想(2017年8月27日投稿)

共鳴では、随分内面が静かになった
感じが致しました。

ハートでは、とても暖かく

その後、瞬間に何もないところに
いたような感じがありました。


K.M(のびのび)さんから頂いたセッションの感想(2017年8月17日投稿)

日常では、根深いとらわれに気づきました。

今までも、そのパターンには気づいていましたが、そこに“とらわれている”ということを深く理解しました。

そのようなことにとらわれる必要はまったくなかった、ということが腑に落ちたようです。

真実ではなく、単なる癖である、と深く理解すれば、すぐに離れることができます。

o.kさんから頂いたセッションの感想(2017年8月13日投稿)

セッションでお話しを聞いてくださって
すっきりしました。
こうやって定期的にセッションを
受けさせて頂いている
おかげでそこまでダメージも
受けず、マインドが優位に
なりかけて本質から外れていきそうな時
また本質を思い出させて
くださってありがとうございます。

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