全体が全体に働きかけている。

ここでは、「全体が全体に働きかけている。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているM.S(いしぽん)さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させてただきます。

M.S(いしぽん)さま

感想ありがとうございました。

> > 無空 さま
> >
> > M.S(いしぽん)です、今朝はセッションありがとうございました。
> > 最近は本当に鬱と身体の痛みや症状で、何もできず伏せっている事が多く
> > しかもセッションでお話ししたように自分の感情をガンと揺さぶるような事があり
> > それで気づく事もあるにはありますが…。
> >
> > 余談ですがこの鬱々が始まったのはマハラジさんの本が届いた辺りからで
> > あの本、最初は、読むと眠くなって読み進められないという事が多々ありました(汗)
> > 一年の初めに大浄化なのかなとマインドは思ったりします。。。

そうかもしれませんね。
ゼロ意識共鳴の積み重ねにより、真実(今回はマハラジの本)との共鳴が起こりやすくなっているようですね。
> >
> > それにしてもここ数回のセッションでは延々と愚痴を語ってしまい(汗)
> > 大変申し訳なく思います。。。

それも浄化のひとつということで。
> >
> > 自分の中ではもう既に完全解決したと思っていたような事も出てきたりして(汗)

真の力(愛、全体)は、顕在意識レベル、個人レベルだけではなく根こそぎ解消していきます。
それがゼロ意識(在る、愛、全体)共鳴です。
> >
> > そして今日の共鳴は…もう、ノドから吐き出したいほどの壮絶な寂寥感が
> > お腹からノドのあたりにかけて湧きあがってきていました。
> > 具合悪くなりそうなほどでした。
> >
> > この寂寥感…、一体何なのかと、マインドはつい癖で考えてしまうのですが
> > 全く理由が見当たらず、何かを思いついてもこじ付けのようで
> >
> > ただ、ふとさっき浮かんだのは、
> > 私は昔から、何かの作品の「最終回」を読むと物凄い寂寥感に襲われる
> > という事です(汗)
> >
> > 自分の作品でも他者の作品でもそうですが、その物語の「最終回」を読むと
> > 何だかその世界が終わった気がして、物凄い寂しさに襲われるのです。
> > なので好きになった作品にはドップリ何年もハマり込みますし、
> > 自分の作品の場合は、なかなか終わらせる事ができない、という…。
> >
> > もしかしたら「自分」という物語から離れる事に壮絶な寂しさを感じてるのかなと
> > 思ったりもしました。マインドのこじ付けかもしれませんが。。。

マインド的な「自分」という物語の終わりを感じられているということは、
とてもよいところまで来ている、ということでもあります。

(それでも起こることはただ起こり続けます。
起こることの“物語化”が終わるという表現の方がより適切かもしれません。)

物語(物語化)が終われば、真実(愛、よろこび)が残ります。

(物語に執着があるうち、執着、その時点においての不必要な習慣等が残っているうちは、
そこに在る真実、それである真実を
愛、よろこび等感じられない場合があります。
━一時的な体験は起こる場合もありますが。━
主体の純化、変容、成熟、また、在るに何度も戻りながら、自覚、
開かれた意識の中で、そこに在ること、それであることに馴染んでいくことで
真実を感じる力、感受性、認識能力、真の理解等を育んでいく必要があると言えます。)
> >
> > ともかく、そういった「原因」はともあれ、、、
> > セッションで無空さんがおっしゃった、
> > 「恐怖」も真我が起こしているというか、共に感じているというか
> > それが・・・・・。。。
> >
> >
> > すると寂寥感も真我が起こしている、となり

そこに在るもの、起こるものは純粋で、ニュートラルであり、
それを感じる側の在り方、立ち位置等により、“様々に感じられる”という視点もあります。

また、感じる側の在り方、立ち位置、理解等、そこから来る自然性、必要性に“応じて”、
様々な思考や感情、気づき、理解、その他すべての現象が“真我から自然に起こってくる”、という視点もあります。

ただこの場合、起こってくる現象は、現れた個人だけが原因というだけではなく、

(個人はいない、全体だけが在るという視点からは、原因は何もない、あるいは、原因はそれ自身、
第一のもの、真我、全体であるそれ自身が在ることが唯一の原因と言えます。)

無限に現れた多様性が無限に関係していて、その関係性の中で、様々なことが様々に起こっている、
という理解が、個人を中心にした視点ではなく、全体的な視点からはより適切なものと言えるでしょう。

すべてはただひとつのものである、全体としてひとつであるという理解、

さらには、ただひとつであるものから無限の多様性が起こり始めた、という時間的な視点ではなく、

時間を超えている“それ”は、はじめから一であり、同時に多であった、という視点、

(それは始まりも終わりもないもの、
永遠そのもの、
また、始まりであり、終わりであり、その間のプロセスのすべてあるもの、
アルファであり、オメガであるもの、
最も大きなものよりも大きく、同時に最も小さなものよりも小さいもの、
ゼロであり、無限であるもの、
常に起こり続けながら、真には何も起こっていないもの。)

ただひとつのものであるそれ自身における、それ自身の中での相互作用、
それ自身のふたつの相とも言える一である“それ”と、多として現れている“それ”との相互作用、
一も真であり、多もまた同じく真である、
それはまったく同じである、という視点等が開かれてくると、
理解の助けになるかもしれません。

補足(書かれたことの補足の補足というかんじですが)が長くなりましたが、話を元に戻し続きを書かせて頂きますと、

起こったものを感じる方の現れも真我である、
真我だけが在るという視点からも、
すべては真我から起こっている、
(真我から起こるものは真我であり、愛から起こるものは愛であり、全体から起こるものは全体であり、
“それ”から起こるものは“それ”である。“それ”以外在るものなし。)
真我が在るから、そこからただ起こるものが起こっている、

(セッション中は、そこまでお話しできませんでしたが、
“起こしている”ではなく、“ただ起こっている”。
視点の違いからそのように表現される場合もありますが、
「真我が“起こしている”」という表現には、物語が入っているとも言えます。)

起こそうという意図、意志なく、ただ自然本性により起こっている、
現れた個人側で感じる恐怖も、寂寥感も、真我から起こっていると見ることができます。
そして、現れた真我である個人、個人として現れた真我がそれを感じている、
と見ることができます。

様々な視点、立ち位置、理解により、様々に見ることが可能です。

真我は無限そのものであり、それ自身を無限の視点から無限に知っていくことができます。

それぞれの視点、立ち位置、理解は、

(すでにすべてであり、ニュートラルであるそれ、あるいは、無限の可能性そのものであるそれから)

それぞれの世界をつくり、それを体験させ、自分自身を知っていくことを可能にしてくれます。

様々な視点、理解を持つことは、それだけ存在そのものを大きく、豊かで、幅、厚み、奥行きのあるものにしてくれます。

無限そのものであるそれ自身の無限性をより無限なものにしてくれます。

愛をより愛にし、自分(自己)をより自分(自己)にしてくれます。

無限の自己更新、無限の自己拡大、無限の自己成長は、そのようにして起こっていきます。

何も起こっていないその中(愛)で。

> > それは自然本性で、原因はワカランというか…。
> > そして真我はその全てを既に受容しているからそれが在る訳で、
> > その立ち位置に立つには真我と同様と言いますか、受容しかないとなります。
> > それが受容できる位マインドが成熟しなければならないという事なのでしょうか…。
> > どうやったら成熟するかと考えるのはまたマインドなので考えませんが
> >
> >
> > でも、もう、何と言うのでしょうか、、、
> >
> > 無理だ、と感じるんです。「個人」には。
> >
> > 今まで本当に色々やってきて、「自分が」何とかするのだと頑張ってきました。
> >
> > 色々考えましたし。
> >
> > だけどもう…光と闇、苦痛と快楽を超えた、言葉で言うならジャンプした「上」
> > 反対側というのか、違う所に立たないと、無理なんだな、と。

真には、今在るところから別のどこかへ行く、ということではなくまさしくそのまま、
真にそのままである、ということでもあるわけですが、
そう在れたときの感じ方、理解としては、そのまま何も変わっていないというのと同時に、
まったくすべてが変わってしまった、
書かれてある言葉で言えば、ジャンプした「上」、反対側というのか、違う所とも
言える、違う立ち位置、違う次元、違う世界に在る、ということができます。
> >
> > でもそれは、、、自分では、出来ず。無力感を感じるというか…。

出来るのは、在るの実践。(日常を丁寧に在る、丁寧に生きるということも含みます。)
それに意識を向けること。
それに意識を向け、それとひとつとなり、それそのものとしての自分を思い出すこと。
あるいは、それそのものとしての自分をはじめて知ること。
真に知ること。

個人である自分を強めるような実践は、在るの実現を、ある意味、遠ざけるとも言えますが、
個人をより透明にし、真の自己、在るへのシフトを促すような実践、あるいは、在るとの統合が起こっていくような
実践は有効です。

すべてはただ起こっている、個人ではどうしようもない、意識を向けることも在るから起こっているので
どうしようもない等言われることもありますが、それは個人側、自己を個人として認識している側、
あるいは、極端な言い方をこの場面に限って使わせて頂くのであれば、自己を個人と誤解している側の理解不足によるものと言うことができます。

現れの世界でいう選択、自由意思と、現れを超えた在るの視点からの必然は、別のものではありません。
現れと、それを超えたものとを同じステージに並べて、ひとつの視点、考え方、理解から比べることは
ナンセンスです。
まったく意味がありません。
ひとつの考え方、理解で、両者を貫くことはできません。
現れの世界での個人の自由意思、選択、実践は有効であり、また必要です。

本質、現れの源であり、現れを超えたところから見れば、選択も自由意思もないという視点、理解になりますが、
統合された視点、あるいは、現れを含みながらもそれを超えた視点、
ただひとつであるものの中で起こっているそれ自身における相互作用、

それ自身がそれ自身に働きかけている(愛)、
その働きかけに対し、それ自身が応答、対応、反応している(愛)、

という視点からは、ただ起こることを起こさせているのはただ起こっているもの(愛)ではあるが、
それはやはりすべてのすべてであり、すべての中には、当然、自由意思、選択という質も含まれている、
ということができます。
その質が現れの中で個人を通して起こり、それがまたそれ自身である真我を刺激し、そこから起こるものを起こさせている、
という見方がひとつあります。

(ただこの視点を、全体性に開かれていない個人が、個人の都合で真我を利用しようとすることに使われる場合は、
個人を強化することにもなり、また、その結果は全体と調和していないもの、全体としてのバランスが欠けたものになることがあります。
全体の一部でもある個人━同時に、本質的には全体そのものでもある━が、個人の都合でそれを活用しようとした場合、そのようになることがあります。
なぜなら、個人は全体と離れたものではないからです。)

個人体験の真っただ中にある場合は選択、自由意思はとても重要なものと言えますし、
また、個人を含み超えようとしている場合にも、その実践が個人を透明にし、在るへのシフトを促すようなもの、
あるいは、両者を統合するようなものであれば、それは有効であり、必要なものであるということが言えます。

(場合によっては、個人を十分強め、十分に大きくさせることで、落ちること、透明になることもありますが、
そこからなかなか抜け出せない場合もあるでしょう。
やはり、それぞれのタイプ、今どの位置にあるか等により、それぞれであるということが言えます。)

真の自己を忘れてしまった真我、真我がそれ自身を思い出すため、
あるいは、まだ自己を知らない真我がそれ自身を知るための実践です。

全体がそれ自身である全体に働きかけています。
怖れ等も含み超えた真の愛そのものである本当の自分、
すべてのすべてである本当の自分を知っていきましょう。

個人としての体験も貴重でかけがえのないものです。
真我の自然本性(愛)からそれは起きました。
そして、その同じ愛(自然本性)が、それを含み超えたところ、あるいは、在り方へと、
シフトしていくよう働きかけてきています。

> >
> > 逆に言うと「自分で何とかしたかった」「達成したかった」と思っていたという事でもありますし
> > 真我に全く委ねられない、信頼がない、ということでもあります。
> >
> > というか、書いた文章を読んで「まるで真我拒否だ」と思いました(汗)

そのような時期もありますね。
> >
> >
> > もう「それが出来ない自分はダメだ」という劣等感と自己嫌悪から
> > 「頑張ってしまう」事をやめない限りは

必要なときには、自然な頑張り(マインド的でない)は起こりますが、
頑張りがどのような在り方から、あるいは、どのようなものをきっかけとして
起こってくるかによって、その質等が変わってきますね。
> >
> > でもマインドとはそういうもので
> >
> > だから「ただそうである」という「ただ受容」しかない、のですが
> > それが真の理解で、愛、自己愛なんだな、と。
> >
> >
> > でももう少し、葛藤は続くようです(汗)

はい、起こるがままに。

そして、同時に在るの実践を続けていきましょう。
> >
> > 来週も宜しくお願い致します。
> >
> > M.S(いしぽん)

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
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