真実を知り、真実であること

ここでは、「真実を知り、真実であること」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているK.M(のびのび)さんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

K.Mさん

感想ありがとうございました。

> 無空さん
>
> セッション(第385回目)ありがとうございました。
>
> 感想です。
>
> はじめの共鳴では、「ただひとつであるものそのもの」、「気づいている愛と現れている愛」、「純粋そのもの」を感じました。
>
> アイコンタクトでは、「気づいているだけが在る」を感じました。
>
> 瞑想では、「ただそうであると知っている=愛」を感じました。
>
> ハートの共鳴では、「気づいているという愛そのもの」を感じました。
>
> 立場を変えての共鳴では、「ただ在り、現れるもの」を感じました。
>
> 立場なし、ニュートラルの共鳴では、「純粋そのもの」を感じました。

今回も、非常に純度の高い本質そのものを素晴らしく感じ取られていましたね。
素晴らしい共鳴でしたね。

>
>
> 日常では、
>
> 全体まるごとという感覚がより強くなっています。
>
> 区別、区切りがより薄くなり、どのように起こっていても、気づいているという愛に気づいていて、すべてをまるごと包んでいます。
>
> とらわれているように見えるときでも、微細な気づきはあり、自然に流れていきます。
>
> 現れはどちらでもいい、どのようでもいい、という感覚がより強くなっています。

全てを支え、全てを育み、全てを包んでいる愛(在る、本質)の立ち位置の感覚ですね。
>
>
>
> また、何かになる必要などはなく、そのままでいい。
>
> 好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいい。
>
> 良い悪い、優劣はなく、すべてはそのままで、全体として、バランスがとられている。
>
> 何かになる、何かを成し遂げるということよりも、真実を知り、真実であることの方が、全体にとっての善であり、全体にとっての楽であるということが、自然に理解、実感されています。

全体、本質、真善美そのものへの確かなシフトが感じられます。
>
>
>
> セッションを受け始めた頃によくお話ししていましたが、毎回のセッションで、日常での気づきが言葉で表現され、そして、それを無空さんに共に感じて頂けることにより、理解がより明確に認識され、それが土台、足場となって、次のより深い理解へと進んでいける、ということを改めて強く実感しています。

はい、今回のセッションもまさにそのようで在りましたね。
>
> 言葉で表現されることにより、日常で微細に感じていたことが、大きな気づき、素晴らしい気づきであったこと、大きな変容、素晴らしい変容であったことに、改めて気づきます。
>
> そして、セッションの偉大さに改めて気づきます。

在るの無限の自己更新、自己拡大、自分自身を無限に知っていきたいという力、愛の為せる業ですね。
>
>
>
> 素晴らしいセッションをありがとうございます。
>
> K.M

ありがとうございます。

無空
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する