蓮の花を持った観音様

ここでは、「蓮の花を持った観音様」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているN2さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させて頂きます。

N2さま

感想ありがとうございました。

> いつも、お世話になりありがとうございます。
> N2です。

> 今回は、無空さんの後ろからすっくと立ち上がる蓮の花を持った観音様を拝見したり。

在る(真我)の共鳴が起こっているとき、本質的なものの現れとして様々に神聖なるものの姿形等が見えることがあります。
そのときどきで必要なことが起こっていきますので、見える姿形等にはとらわれずに、在るがままに見、感じ、それを本質としての自分自身(の無限にある在り方、可能性のひとつ)として捉えられるとよろしいでしょう。
できるときは、対象として見えるもの(今回であれば、蓮の花を持った観音様)を自分自身に重ね合わせ、自分自身としてその素晴らしい質、在り方を感じてみましょう。

> 以前、お聞きした顔の表情は、合わせ鏡というお話しを思い出しました。

はい、そのような視点、理解も持っておくとよろしいですね。

> 以前は、きれにきれいに真っ白にしょうと思っていたけれど、
> 少しの汚れもそのものの味わい。

そのように捉えることで、全体はひとつとなり、汚れに見えていたものが
変容していきます。

> 人は、面倒だけど面白い。自分史の気持ちに正直に、わがままではなく、 攻撃でもなく自己と他者を妥協しないで容認する。本当に難しい。

難しいがゆえに、地道に実践してくことで、磨かれ、また、成長、成熟していき、真の力、地力、存在の力がついていきます。
愛がより大きく、深いものとなっていきます。

> しょうかたい、サードアイ、チャクラ等何かを特化するのではなく、バランスを考える。

はい、そのときどきでどれか、どこかにより焦点が当たるということは起こることがありますが、全体のバランスも大事です。
個別性と合わせて、全体性も意識していきましょう。

> 全てはあるが正解は、ない。

現れたそれぞれがそれぞれの視点では、そのときどきにおいて正解ということもできますが、現れの領域において、あらゆる環境、状況、時空を通して、画一的で決まった答えというものはありません。

存在は、現れを通し、変化、変容、進化、更新していくので、現れの領域における答えも進化していきます。

また、別の視点からは、個々それぞれは変化していきますが、全体は常に全体として在ります。
全体を丸ごと受容すること、全体として在ることは、正解という視点、言い方も可能です。

また、現れたすべてが変化していく中で、現れを体験している主体(自己)が在るということは変わりません。

そのような視点からは、“在る”ということは、どんなときでも正解であると
言うことができます。

在ること、真の自己であることです。

それがより現れた状態でより分かりやすい表現で言えば、いつも自分に正直であること、自分の気持ちに正直であること、自分の良心(ハート、魂、あるいは、直観、感覚、智慧等)に従うこと等が挙げられます。


> 容認し咀嚼しなにを得るか、なにを学ぶか。まだまだ、自分の本性、本質に至ってない。
> せめて、口に理想を説いて行いが愚劣にならないように気を引き締めて生きて行こうと思います。

今、着実に開かれてきていて、本性、本質に近づいている状態です。

(すでに本質そのものでもあるのですが、その理解、実感にまだ開かれていないという状態です。)

このまま進んで行きましょう。

> また、来週よろしくお願いいたします。

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
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