額から在るがふわぁ〜と流れでてきて、体全体が包まれたよう に感じました。

ここでは、「額から在るがふわぁ〜と流れでてきて、体全体が包まれたよう に感じました。」 に関する記事を紹介しています。
今回は、お試しセッションを受けられた宝珠さんから頂いた感想を参考までにご紹介させて頂きます。

宝珠さま

おはようございます。
感想、そして、お振込みありがとうございました。

> 無空さま
>
> こんにちは、宝珠です
> 金曜日はお試しセッションありがとうございました。

~事務連絡につき、省略させていただきます~

> 18日20時、よろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願い致します。
>
> 先日の金曜日は気がつけば、1時間40分も話してしまいました。
> 本セッションは、さらにあっと言う間ですね。

そうですね。
でも、中身は濃いので大丈夫です。
そして、在るは時間を超えていますので、
共鳴中は、時間感覚なども変わってくるかもしれません。
また、はじめのうちは、質問等色々出てくるかもしれませんので、
あまり時間を気にせずお話しください。
時間の方は、余裕をもってとっておきますので大丈夫です。
>
> 翌日、在るに意識を向けて見たところ、在るを目の前に感じました。しばらくそ のままでいると、額から在るがふわぁ〜と流れでてきて、体全体が包まれたよう に感じました。

色々体感が出てきて、よい感じですね。
>
> ふと、無空さんの「在るはどこにでもありますよ」って言う言葉を思い出しました。
> その時、外で小鳥の囀りが聞こえ、さらに人が作業している音が聞こえました。
> ここからは想像ですが、えっ、小鳥も在るの一部?えっ、外で作業しいる人もこ の在るの中にいるの?だとしたら、この世界は私の妄想?などと思考が色々喋り だして、その日は訳がわからなくなりました~_~;

はい、訳が分からなくなるのもよいことです。
(真我の視点からは、「この世界は幻想」というのは、よく言われていることではあります。無空庵では、幻想というよりは、現象、自然現象というような表現、捉え方をしております。)
これまでの(マインドで)「知ってる状態、在り方、理解、立ち位置」から、在るの視点、そして、在るの視点も含まれたトータルな視点からの「知ってる状態、在り方、理解、立ち位置」へとシフトしていくときには、一時的に、そのような状態(訳が分からなくなる)になることがあります。
>
> さらに翌日も在るに意識を向けてみると、今度はお腹から、在るが湧き出てきた 感じがしました。

在るが、宝珠さんにとって、必要なタイミング、必要な場所、必要な順序で活性化してきていますね。
(これも在るの現象、自然現象、自然の計らいです。)
>
> 土日は、意識だけ飛んで行く変な夢をみたり、みぞおちがとても重たくなったり しました。でもこれは寝たら治りました(>人<;)

(*^^*)

> 余計な力が入っていたのかも知れません。

そうかもしれませんね。
または、何かしら浄化が起こっていたのかもしれません。
>
>
> その後、疑問が生じたのですが、在るに意識を向けるのと、意識に意識を向ける のと、どう違うのかしら?と。
> また金曜日、教えてください。

はい、金曜日にお応えしましょう。
(無空庵としては、「答え」というよりは、何かしらのアクション、刺激、接触、関係性、必要性等に、「応じる」という在り方をしています。)

今回のご質問に関して、少しだけお話しさせて頂きますと、在るも意識も基本同じものですが、ひとつの表現をすれば、意識、あるいは、注意を向ける角度、方向が違うということができます。
4つの共鳴と同じように、同じ在る(真我)をそれぞれ違った角度、側面から刺激している、活性化させている、感じてみている、そのことにより、在るの一側面だけでなく、様々な在る(真我)の質、側面、在り方等を開き、活性化させ、在る真我)をよりトータルに知っていくことが可能となります。
(もちろん、一側面から進んで行っても、在るを限定したり、閉じたりしなければ、他の側面も自然に開いてきたりします。)

例えて言えば、何か物体を見るときに、前から見るのと、横から見るの、さらに、上や下、後ろや斜めから見るのでは、それぞれ違ったように見える場合があります。
触れてみても、物によっては、それぞれの箇所で、それぞれ違った感触があるかもしれません。
食べ物でも、どこから食べ始めるか、味わい始めるかで、味わいが違う場合もあります。

在るには、無限の質、無限の側面、無限の在り方があります。
在るをよりトータルに知っていくために、多くの方にも、比較的分かりやすく、意識を向けやすい二つの視点(在ると意識)から、アプローチをして頂いております。
もちろん、そのうち実践しやすい方を中心に進めていって頂いてよろしいのですが(それでも、前述のように、マインドで在るを限定していなければ、他の側面も自然に開かれてきます。)在るの無限の可能性を限定したり、閉じてしまわないよう、そして、常に「開かれて在れるように」サポートしています。

まだ始まったばかりですから、意識と在るを同じに感じられても全く構いません。(場合によっては、ずっとそれでもOKです。)
同じものですので、当然でもありますし、逆に、しっかり意識を向けられている
証拠にもなります。
現れの世界のどのような実践でも同じ傾向があると思いますが、
実践を重ねれば重ねるほど、それはより洗練されていき、はじめは見えなかったものが見えるようになってきたり、認識力、識別力等が増してきます。
感じる世界が広がり、深まり、厚みを増し、より豊かになっていきます。
その豊かさは、自然に現れにも浸透していきます。

在るの場合は、より精妙な領域を感じれるようになったり、識別力等も増していきますが、同時に、それぞれの質、在り方、側面と言っていたものが、それぞれに全てであり、全てを貫いていて、それぞれの側面、それぞれの全てがひとつであるということも分かってきます。

すべては、意識である、
すべては、在るである、
すべては、愛である。

愛だけがある
意識だけがある、
在るだけがある。

識別力と、ただひとつであるものを見る力、感じる力、そして、それである力、それを実現する力、在り方、理解が、ゼロ意識(在る)共鳴と日々の在るの実践により、養われていきます。

今は、同じに感じられても、シンプルに、在ると意識の両方を実践してみてください。

それでは、また金曜日にお会いしましょう。

無空
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