存在が、存在していることを知っている=よろこび

ここでは、「存在が、存在していることを知っている=よろこび」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているK.M(のびのび)さんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

K.Mさん

感想ありがとうございました。

> 無空さん
>
> セッション(第376回目)ありがとうございました。
>
> 感想です。
>
> はじめの共鳴では、「空っぽ=安心そのもの」、「空っぽ度合いが増した感じ」、「空っぽの無限の広がり」を感じました。

空っぽの実際的認識、理解が、さらに広がり、深まっていますね。
空っぽの在り方、素晴らしさが、とても伝わってきます。
>
> アイコンタクトでは、「存在が、存在していることを知っている=よろこび」を感じました。

最も凝縮されたところ、至福とも言われ、感じられるところ、
在り方の深まり、洗練等により、今回のように感じることが可能になります。

> 瞑想では、「存在として在ることが自然な感じ」、「落ち着いている」、「影響を受けない」を感じました。

存在へのシフトが、本当に素晴らしいですね。

真に主たるものは、それであります。
>
> ハートの共鳴では、「すべてである愛そのもの」を感じました。

すべてであること=愛 とも言えますね。

すべてであるもの、

そして、愛という在り方を

よく感じ取られていますね。
>
> 立場を変えての共鳴では、「全体として在り、全体として起こっている」を感じました。

全体の認識、理解が、本当に素晴らしいですね。

全体として在り、全体が全体のまま起こっています。

ただひとつであるもの、ただひとつであるすべては、

そのような在り方、そのような起こり方をしています。
>
> 立場なし、ニュートラルの共鳴では、「すべてとして在り、すべてとして体験している」を感じました。

今回は、すべてであるものへのシフト、その直接的、実際的認識、理解が素晴らしく進んでいることが確認されましたね。

今回も、本当に素晴らしい共鳴でしたね。
>
>
>
> 日常では、
>
> すべては、全体として、そのときどきに、その立場を生きているだけ、その立場を体験しているだけ、ということが、より実感として感じられています。

はい、今在る立ち位置が、全体としての立ち位置、視点にあるということがとてもよく伝わってきます。
そのような在り方、実感、認識、理解が、現れている全体へのさらなる全体性の浸透、ひとつであること、調和、愛の広がり等を促していきます。
>
>
>
> また、“する”がより落ちてきているのを実感しています。

存在、全体、真の愛、真善美へのシフトは、在ることへのシフトです。

(もちろん、何もしなくなるわけではなく━“する”が起こらなくなるわけではなく━、全体の必要性に応じて、“する”、あるいは、現象は、自発的に起こっていくようになります。
全体として在り、全体としての認識の中では、全体がどれだけ活発動いても、
それは全体の中でのことであり、全く動いていないのと同じです。
全体は、あらゆることを為しながら、全く何もしていない、
ただ在りながら、すべてを為している、という認識、理解に在ります。
全体は、そのような在り方をしており、また、愛は、そのような在り方をしています。“知っている”そのもの、相対的知らないも含み超えた、知そのものは、
そのような在り方をしています。)

> 今のスタンスの表現として、“あきらめと信頼”、そして、“安心”という言葉が浮かんできます。
> このスタンスがとても心地いいです。

それは、今の在り方が、存在全体として、とてもぴったりきている証拠です。

> 自然、シンプル、軽やか、楽が、より浸透しています。

在る、真実の深まりにより、それらは、より浸透していきます。

本当に素晴らしいですね。
>
>
>
> 素晴らしいセッションをありがとうございます。
>
> K.M

ありがとうございます。

無空
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