触れることのできない「智」を味わっておりました

ここでは、「触れることのできない「智」を味わっておりました」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられている青さんから頂いた感想と無空の返信を
参考までにご紹介させて頂きます。

青さん

感想ありがとうございました。

> 無空さん
>
> 先ほどはセッションをありがとうございました
>
>
>
> 息子たちも
>
> 春の新生活が始まる準備で
>
> ソワソワとしてきている
>
> 春本番です!
>
>
> そのような中で
>
> 長男が昨夜は
>
> ゼロ意識共鳴に少しだけ意識参加させていただきました
>
>
>
> 真我自身
>
> 真の自分自身であること
>
> そこへの希求の思いが浮上してきているのでしょうか

そうかもしれませんね。
>
>
> ヨーガでは
>
> 最後の勝負を決するのは
>
> 智ではなくて離欲であると書いています(ヨーガ・スートラ3章50節)
>
> 最近の長男はよく
>
> 執着心のことを口にし
>
> 気にしている様子なんです
>
>
>
> さてその執着であっても
>
> その思い込みや
>
> こだわりに向けて
>
> 真実の光
>
> 真の理解を指し示すのは
>
> その弁別智であると
>
> 青は思っているのです
>
>
>
>
> 弁別智というのは
>
> 真我と覚とを混同せず
>
> 明瞭に両者の区別を識別する知見のことである(ヨーガ・スートラ2章27節)
>
> また
>
> 弁別智が発露すると
>
> 人を構成する3つのエネルギー(タマス・ラジャス・サットヴァ)は
>
> その役目を終え、覚とともに自性の中へ没入していき
>
> ついにはそれ自体で輝く
>
> 汚れのない独一絶対な存在となる
>
> とも書いています
>
>
>
>
>
>
>
>
> 弁別智(べんべつち)というのは
> ヨーガ・スートラに出てくる言葉なのですが
>
> 青はその弁別智というものが
> どのように働くのか
>
> それを知りたかったのですが
>
>
> その煩悩(執着など)の塵を払うのもその弁別智なんですね!!!
>
>
>
> さらに
>
> このゼロ意識そのものが
>
> その弁別智だという言い方も出来るのかもしれません

そのように見ることもできるかもしれませんね。
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
>
> ゼロ意識共鳴が
>
> それらを含めて
>
> ヨーガを学ぶ青におおいに
>
> 様々に理解を与えてくれていることを心から
>
> 感謝いたします

学びの姿勢が本当に素晴らしいですね。
>
>
>
>
>
>
> さて
>
> はじめの共鳴は
>
>
> 「この清らかな流れ」
>
>
> アイコンタクトは
>
> 永遠
>
> 梵我一如の途中道~
>
> 明晰さがひろがっておりました

とてもよい感じですね。
>
>
>
>
>
> 瞑想では
>
> 癒しそのもの
>
> 新鮮さが溢れておりました

必要なことが起こっていたようですね。
>
>
>
>
> 触れることのできない
>
> 「智」を味わっておりました

本質的なところですね。
>
>
>
>
> ハートの共鳴は
>
> 柔らかさ
>
>
>
> 立場をかえては
>
>
> 神秘ですね
>
>
> このエッセンスに惹かれているのです

そこには、奥深いものがありますね。
>
>
>
> 立場なし・ニュートラルは
>
>
>
> もうすっかりと軽くなっていくのを感じていました

全体的に素晴らしい流れ、展開の共鳴でしたね。
>
>
>
>
>
>
>
>
>
> ありがとうございました
>
>
>
>
> 青

ありがとうございました。

無空
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