真我|無空庵

ここでは、「真我|無空庵」 に関する記事を紹介しています。

真我とは


(こちらの記事は、無空庵第一ブログから移設したものです。)

真我とは、本当の自分、真の自己、

また、それは無であり、空であり、愛そのもの、平和そのものでもあります。

サンスクリット語では、「サット・チット・アーナンダ(存在・意識・至福)」とも表現されており、

それは、存在そのもの、気づいている意識、至福そのものです。

近年の2大覚者とも言えるラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジが言及している

のも、真我(存在・実在・在る)についてです。

真我とは、自我、思考、感情、様々な事象、現象、世界、森羅万象すべてを含めた

あらゆる現れの源であり、また、同時に、その現れたすべてでもあり、

それはすべてのすべてであり、覚者方が、「それだけがある。」と言っているものです。

真我覚醒


それは、もともと在り、すべてを支え、すべてを育み、すべてを包んでいるもの

でもありますが、

多くの場合、気づいている意識でもある真我(現れの源としての真我)が

そこから現れた自我とミックスされていて、

純粋なそれ、

真我、本当の自分には、純粋な状態では気づかれていません。

(それはすべてのすべてでありますが、はじめに、現れの源である変わらない
本質部分としての真我に気づかれ、
その変わらない本質部分である真我を土台として、そこから、その現れも同じく
真我である、その本質においてはまったく同じ真我であると理解され、
統合されていくプロセスがあります。)

そして、その状態、その在り方では、分離感を伴う自我が主体となり、

自我が唯一の自分であるという理解をもとに、

様々な経験、体験がなされます。

もちろんそこには、素晴らしい体験もたくさんありますが、真我の視点、

すべてはひとつであるという視点が欠けていると、

深刻さ、不自然さ、重さ、複雑さ、苦しみ等も増してしまう可能性があるとも言えます。

それら苦しみ等から根本的に脱却するには、

まったく違う立ち位置、違う視点に、自然に立てるようになることが必要です。

そして、それを可能にするのが、本当の自分、真の自己、真我、真実に気づくこと。

真我覚醒です。

真我の目覚め


自分は、個人、自我であったと思い込んでいたところから、真の自己、本当の自分、

真我に目覚めるのです。

(覚醒後も、自然な必要性等から個人感覚も起こってきますし━より透明で、
軽やかな個人感覚になっていきます━、
必要な習慣、記憶等は、全体の調和の中で自然に働きます。
ただ、覚醒、理解が深まれば、本当の自分とは真我であるという理解が、
起こってくる個人感覚等すべてを支え、
それらにも浸透し、とてもバランスがとれ、全体でひとつとして安定し、
とても自然な状態になっていきます。)

ある意味、本質、真実に対し、眠っていた状態、無意識であった状態から、

“目覚める”という表現もできると思います。

それは、“すでにそうであったものに気づくこと”です。

またそれは、それまでの思い込みや観念からの解放でもあります。

真我実現


真我をそれ自身として知ることにより、

(覚醒が起こっても、自我、マインド、個人が、真我を知ったとし、
それが主体になっているうちは、
それは、覚醒したエゴ、悟った自我という言い方もできるかもしれません。
それは、真の覚醒、真の悟りとは言えません。
主体が個人から真我へシフトしていく必要があります。
あるいは、個人が真我に溶ける、または、真我の直接的な理解が個人に浸透する、
個人が真我の深い直接的でトータルな理解に貫かれ、純化、変容、成熟する必要が
あります。)

思考、感情、そして、それらを所有する個人からより自由になっていきます。

問題と思っていたことが問題ではなくなっていきます。

(状況も変わっていく場合もありますし、状況はそのままでも、
それを問題とは捉えなくなっていきます。
深刻さ、重さ、不自然さ、複雑さ等が減っていきます。)

自由が増し、喜びが増し、創造性も増していきます。

真我をそれ自身として知ることにより、愛にあふれ、感謝、思いやり等も増していきます。

より自然で、軽やかで、楽で、シンプルになっていきます。

落ち着きが増し、穏やかさも増し、くつろいで、安らいでいられるようになっていきます。

人生の奥行き、生きることの味わいもより深まっていきます。

それは、他の何かを知ること、他の何かに気づくことではありません。

自らに覚醒すること、

自己覚醒、

自己認識、

自己実感、

真我としての真我についての直接的な自己理解です。

そして、多くの場合、真我に気づいても、それまでの自我の習慣、パターンが

多く残っています。

そこから、真我で在ることの実践を繰り返し、それが自然なものとなること、

それが自然に生きられるようになることを

真我実現という言い方もできるでしょう。

(ある意味、恒常的、恒久的な真我実現という言い方もできるかもしれません。
状況等により、あるいは、真我が日常的に実現されるようになるまで、
一時的な実現、一時的に真我がトータルに現れるということはあります。)

それは、本当に素晴らしい状態、素晴らしい在り方の実現です。


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最近のセッション例(記事投稿したものから一部抜粋させて頂いております。)

Hiraraさんから頂いたセッションの感想(2017年5月20日投稿)

常に気づきの状態で在るという理解

エネルギーがすごくて クリーンな透明で澄んでいる状態

とても素晴らしい 気づきそのもののセッション
ありがとうございました!

ラバンジンさんから頂いたセッションの感想(2017年5月10日投稿)

良いことも悪いことも、綿密に絡み合った複雑な「現れ」というものが起こることの喜び、
そしてそれも含め何も起きていないというありがたさを感じました。

まるこさんから頂いたセッションの感想(2017年5月5日投稿)

気がつけば

本当に、日々、楽しく
仕事も、心地よく
過ごせています。


H.KIさんから頂いたセッションの感想(2017年4月29日投稿)

本を読むということと一緒で、人の話しからイメージを作り、何かを思い込んでいること
さえ気づかないまま、ずーっとそこから離れることも出来ないままいたんだと気づきました

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