何でもなさ

ここでは、「何でもなさ」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているイギーさんから頂いた感想と
無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

イギーさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> 前回のセッションの感想を送ります。
>
> 共鳴
> 空っぽさ
>
> アイコンタクト
> 何でもなさ

これも、在るの自然で、また、本当に素晴らしい在り方ですが、
それを認識できるところが素晴らしいですね。
普通、当たり前、何でもなさ、自然さ等は、
なかなか注意が向きにくく、気づかれにくく、
そして、気づかれても、マインドには喜ばれにくく、
大事にされにくいです。
でも、それが最も大事なもの(普遍的本質)です。
それは、すべてのベース、背景、そして、核としてあり、
すべてを貫き、すべてに浸透し、
また、すべてとして現れ、すべてとして在り続けているものです。
>

> 瞑想
> 眠りの世界に入りそうになる

個人が退いていくと、そのような感じになることがありますね。
>
> ハート
> 何でもなさ
>
> 立場を変えて
> ひとつに統一される

この感じ、認識、在り方もとても大事ですね。
>
> 立場なし
> 深まっていく感じと、深まりを恐れる感じ

深まりが素晴らしいからこそ、起こってくる自然な感じでもあります。
体験、実感をさらに重ね、自己理解、変容、統合等がより進んでいくと、
自己の深まりへの恐れもなくなっていきます。

ひとつであるものは、何ものも恐れません。
(現れにおいて自然に起こる関係性の中での、自然発生的な一時的恐れ感の
ようなものは起こり得ます。
また、自己認識のひとつの側面、角度として、ひとつであるものの中で、自分自身が何ものでもないという認識から起こる様々な感じ、感覚のひとつとして、恐れもあり、そこから世界が展開していく━何者かになろうとする動き、何かで自分自身を埋めようとする動き、満たそうとする動き等━という側面がありますが、自己(この場合は、現れを含む存在全体)をトータルに知り、自己受容、自己統合、自己理解が進むことで、何ものでもない自己として安らいで在ることができるようになります。)
そこに在るのは、(トータルな、あるいは、ただ━無条件の━)安心、平和、自由、安らぎ、リラックス等であり、
また、無限であり、既知でありながらも同時に未知でもある自己(真実、真理)への開かれです。

(この真実、真理への「開かれ」に関しては、自己理解の深まり、存在全体の成長、成熟等があるところまでいくと、必ずしもすべての存在にあるわけではないようです。参考として、「パワーかフォースか」の著者デヴィット・R・ホーキンスのI<わたし>から抜粋させて頂き、ご紹介させて頂きます。

「けれども、このレベルの進化は通常あまり起こりません。意識レベルが600に達した時点でそこで止まり、
残りの生涯をそのまま過ごす場合がほとんどです。
各レベルの啓示はそれだけで完結していて深い満足を与えるので、その達成感がさらなる意識の進化を停止させてしまうのです。
ほとんどの覚者が600を超えたところで完結するのはそれが理由です。
その状態の至福があまりにも完全なので、さらにその先があるようには見えないのです。
しかしある意味では、その結論は正解です。
というのも、各レベルはそのレベルにおいて完全かつ完璧だからです。
そのような達成感や完了感は、500台の上位以上から現れます。
そこには好奇心も未完了感も残っていないので、先に進もうという探求心が起こりません。
わたしの場合、そこから先の各レベルにおいても、真理に対する開放性は持続していました。
ですからどこかで、完璧に完結しているのではなく、進行中の過程であるということを認識していたのです。
おそらく「自己」がさらなる進化の中で自らの本質と潜在的可能性を表現するために、前進しようとする意志を働かせたのでしょう。
そして、何よりも、おのずと起こる進化の過程に身を明け渡したいという意志が決定的な要素でした。
創造は条件が整ったとき、その潜在的可能性を表現するのです。」)


> セッション後は、今週も、活動を控えめに、体調を整えることに、専念しており ました。

はい、体調を整えることもとても大事ですね。

> ありがとうございました。
>
> イギー

ありがとうございました。

無空
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