相対的な善悪よりも、絶対的な善、全体そのものに意識を向ける。

ここでは、「相対的な善悪よりも、絶対的な善、全体そのものに意識を向ける。」 に関する記事を紹介しています。
こちらは、無空庵第一ブログに載せていたYさんの体験談(2011年8月9日掲載)を移設したものです。

(無空庵第一ブログにあるこれまで皆さんから頂いたセッションの感想のうち、主に新しい方のものからひとつかふたつ、こちらのブログに移設させて頂いております。)

それ以前のものは、無空庵第一ブログの左サイドバー「カテゴリ・■セッション体験談・他のYさんの体験談・他のところにありますので、ご参考になさってください。)

第一ブログ案内1-2

(上記ご案内はリンクになっておりませんので、お手数をおかけいたしますが、URLを入力、あるいは、「無空庵」等で検索して頂きますようよろしくお願い致します。)

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今回は、セッションを受けられているYさんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

Yさん

メールありがとうございました。

> こんにちは、Yです。
>
> 今回は2週間あくことになりましたが、気づきの感覚は同じくらいでたもてていたと思います。

今の気づきのレベルが、ある程度安定してきたという見方がひとつできるかもしれません。
もうひとつは、これまで休まず継続してきてた分の効果がまだ続いているという見方もありますね。

> ただ、ずっと気づきをずっと保つよりは、たまに留まるぐらいにしたほうが心地よさは感じられるみたいです。

気づきの強さ、深さ等の関係もあるでしょうね。
>
> あとは、いいところに視点を合わせることについてセッションのとき質問させてください。

はい、これはセッションでお話したとおり、善悪の価値判断なく、起こるがまま、あるがままでいられる場合は、
特に意識する必要はありません。
(そのときは、相対的・部分的な善ではなく、絶対的・全体的な善ということになりますね。)

そして、それ(真我・在る)の素晴らしさが分ってくると、自然にあらゆるものにそれを見いだせるようになってきます。
その前の段階として、あらゆるものに真我・在る・愛を見る練習をするのはいいですね。

また、もし、ご自身の中での相対的な善悪の悪い方にどうしてもひっぱられやすいときがあれば、どこか善いところを見つけるように意識するのはいいですね。

それから、セッションでも聞かれましたが、素晴らしいとか、美しいというような感情、感動、思いが起こるようなものに意識を向けるのもいいですね。
すべては真我の現れですが、その素晴らしさをより感じやすいものというのは人それぞれあります。

そして最終的には、真我そのものが何よりも素晴らしいと感じられるようになってくれば理想的ですね。

ではまた、来週の火曜日に。

無空
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