悟り|無空庵

ここでは、「悟り|無空庵」 に関する記事を紹介しています。

悟りとは


(こちらの記事は、無空庵第一ブログから移設したものです。)

「悟り」とは、一般的には、物事の真の意味を知ること。理解すること。

気づくこと、感づくこと

また、仏語としては、迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。

等言われています。

「覚り」と書かれることもあります。

また、「開悟」や「覚悟」という表現もあります。

実際、「悟り」という言葉に関しては、様々な意味で使われ、また、様々に解釈されたり、

理解されているように思います。

ある意味、言葉は、真実を指し示すためのひとつの道具であり、

方便という側面もありますが、

無空庵では、「悟り」とは、本当の自分を知ること。

真の自己、真我を知ること

と捉えています。

それは、個人、そして、この現れの世界、現象世界のすべてを含み、

そして同時に超えている真の自己、本質、真我を知ること。

それ(真我)そのものとして、直接に、それ(真我)自身を実感、自覚、認識し、

腑に落ちて深く理解すること。

存在全体で知ること。

直知、直覚すること。

それ(真我)だけがあり、それ(真我)がすべてであるということを知ること。

悟りをいくつかの視点から


さらに、より具体的にいくつかの視点から挙げてみれば、

「悟り」とは、本当の自分、自らの本質、真我、真の自己は、無であり、空であり、

そこから、「私」という自我、思考、感情、そして、現象世界のすべて、

様々な次元、時空、森羅万象すべてが現れる無限の可能性そのものであること、

すべてが起こっていく真の源、

そして、そこに、現れたすべてが帰ってくる真のふるさとであることを知ること。

あるいは、「悟り」とは、それ自身はまったく変わらず、不動のまま、

何の意図、意志なきもの、特定の何ものでもないもの、非具象なるもの、

未知なるものとしてとどまりながら、

その中で、それ自身の自然本性からすべての具体的な事象、

現象が展開する深遠で玄妙なる絶対場、ゼロ場であること。

それ自身の中で、それら様々な事象、現象、世界、宇宙が起こりながらも、

それ自身の存在性という点において、あるいは、その本質、その真実においては、

本当は何も起こっていない、

と言える、絶対平和、絶対的な安らぎ、絶対安心、絶対安全の場であることを知ること。

また、「悟り」とは、本当の自分、真の自己、真我は、

それ(真我)自身から起こる、あるいは、それ(真我)自身の中で起こる

様々な具体的な現れ、具体的な動き、波、ゆらぎ、事象、現象に気づき、

また、それら様々な現象に気づいている自分自身に気づくことができる純粋な意識、

純粋な気づきであると知ること。

あるいは、「知」そのものであると知ること。

(それは、「悟り」そのものであるということもできます。)

また、「悟り」とは、本当の自分、真の自己、真我とは、

すべてを生み出し、すべてを支え、すべてを育み、すべてを包んでいる

無限の愛そのものであると知ること。

等言えます。

悟りとは、本当の自分を知ること


今、いくつかの視点から、より具体的に「悟り」ということについて挙げさせて頂きましたが、

本当の自分、真の自己、真我は、無限そのものでもあり、その在り方、質、側面は、

無限です。

さらに、「悟り」ということについて、具体的に挙げさせて頂ければ、

本当の自分、真の自己、真我とは、

すべての音が起こる前の絶対的な沈黙、静寂の領域そのもの、

(そこからすべての音が起こっていきます。)

相対を超えた絶対的な喜びそのもの、

変わることのない幸せそのもの、

多様な生命が起こっていき、様々に「生きる」ということが起こっていく生命の源、

生命そのもの、

相対を超えた真・善・美そのもの、

また、それ自身、そして、それ自身から現れたすべてを含む全体そのものでもあること。

それ自身がすべてのすべてであること。

存在する存在性そのものであること。

それらを知ること。

存在そのものとして、それを直知、直覚すること。

そのように、本当の自分、真の自己、真我を知ることを、

無空庵では「悟り」と言っています。

悟りの無限の深まり、広がり


本質、真我、本当の自分は、ただひとつのもの、ただひとつのすべてであり、

もっともシンプルなものでありながら、無限そのものでもあり、

無限の質、無限の側面があります。

そのひとつの質の中にもすべてがあり、それがすべてでもあります。

自分自身が、「空」であることを知ったら、それはひとつの「悟り」と言えるでしょう。

自分自身が、「純粋な意識」、「純粋な気づき」であると知ったら、

それをひとつの「悟り」と言ってもいいでしょう。

そして、それをひとつのゴールという言い方もできるかもしれませんが、

同時にそれがすべてではないと言うこともできます。

本当の自分は、無限です。

また、未知そのものでもあります。

知られる側面、角度、質は無限にあります。

(それでも、それらはけっして別々のものではなく、分けられるものではありません。

真我=純粋意識=知=無=空=無限の可能性=無限の愛=在る・存在性=

平和=幸せ=静寂=全体・・・・

それは、そのひとつひとつのある意味、側面にすべてが含まれていて、

それ自体ですべてでもあります。

そのため、ひとつを知ることにより、「すべてを知った」という感覚も起こり得ますし、

それは正しく自然な感覚でもあります。)

また、その「悟り」ひとつひとつに無限の深まり、広がりがあります。

ですから、無空庵では、より深く、そして、よりトータルに自分自身を知っていく

等の表現を使わせて頂くことが多くあります。

そのように、それ自身は、不変不動のものとしてただ在りながら、

その自然本性により、自分自身を無限に知っていくというのが、

真我、あるいは、知そのもの、また、愛そのものの自然な在り方です。

悟りを実現した覚者の言葉より


参考までに、ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT」から、ご紹介させて頂きます。

『探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。』

『実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存在の根本である真我を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。』

悟りを生きる、悟りが生きられていく


それは、時空を超え、「悟り」そのものでも在りながら、それ自身の中で、

それ自身の自然本性を通して、無限に自分自身を知っていくもの、

無限に自分自身を悟っていくもの、「悟り」を深めていくもの。

より自分自身になっていくもの、より自分自身で在っていくもの。

愛がより愛を知っていきます。

愛がより愛になっていきます。

愛がより愛を実現していきます。

無限に愛を実現していきます。

「悟り」がそのように実現されていきます。

「悟り」が生きられていきます。

真実の理解が生きられていきます。

真実が生きられていきます。

生命そのものが生きられていきます。

本質、真の自己、真我、愛そのものは、そのように在ります。

悟りとは、愛そのものである本当の自分を知ること


また、「悟り」とは、本当の自分を知ること、

そして、その本当の自分には、無限の側面、質、あるいは、在り方があると

書かせて頂きましたが、

それらを総称し、本当の自分をもし一言で言い表すなら、それは、愛です。

(様々な表し方があると思いますが、無空庵では、ひとつの表現として、

そのように表現させて頂いております。)

愛を知ることが「悟り」です。

それは、存在のもっとも深奥にあるもの、核にあるもの、もっとも大切なもの、

また、それが唯一であり、それだけがある、それがすべてであると言えるものです。

それは、この現れの世界で言われ、感じられるものを含み、

そして、さらにそれを超えています。

思い、感情、さらには、感覚すら超えている、あるいは、含み超えている

と言ってもいいでしょう。

それは、すべてを含み、そして、すべてを超えているものです。

それは、実在そのもの。

そして、絶対的な事実。

すべてに先立ち在り、それ自身はまったく変わらないまますべてとして現れ、

すべてに浸透し、すべてを貫いているもの。

すべてを溶かし、すべてを統合できるもの。

すべてをひとつにできるもの。

そして同時に、すでにすべてをひとつにまとめているもの。

すでにひとつであるもの。

すでにそうであるもの。

それを知ることが「悟り」

真の愛を知ること

本当の自分は、愛そのものであることを知ることが「悟り」です。

悟りのプロセス、悟りの実現


仏教の方では、悟りの階梯(ステップ)として、「悟り」の世界を

「預流果」「一来果」「不還果」「阿羅漢果」の四つのステージに分けて解説されていたり、

四向四果(しこうしか)という八つのステップで説明しています

また、禅の「悟り」にいたる道筋を牛を主題とした十枚の絵で表した十牛図

(じゅうぎゅうず)、あるいは、十牛禅図(じゅうぎゅうぜんず)というものもあります。

無空庵では、その「悟り」のプロセス、「悟り」の流れをシンプルに、

真我が自分自身を知っていくプロセス、

自分自身をより深く、よりトータルに悟り、理解し、実現していくプロセスと捉え、

存在の深まり、理解・悟りの浸透、貫き、

そして、それに伴うマインド等を含めた存在全体の変容、純化、成熟という形等で

表現させて頂いております。

真我、空、無限の愛から現れたこの時空の中で起こる一つの流れとして見る場合、

そこにはプロセスがあります。

悟りの一瞥、悟り体験と言われるものからはじまり,

(これは、必ずしも劇的だったり、神秘的なものであったりするものではありません。
それはただ単に、真の自分に気づく、真の自分を知るということですから。
━その気づきの深さ、トータルさ、腑に落ち度等はそれぞれです。━)

悟後の修行と言われるそのプロセスがあります。

(頓悟、漸悟という言葉があります。ひとつの気づき、理解、「悟り」が起こるのは
突然と言えますが、ほとんどの場合は、そこからそれぞれのプロセスを通り、
徐々にシフト、変容等が進んでいくと考えてよろしいと思います。)

無空庵では、真の自己、真我に気づくこと、

それがそれ自身に目覚めることを真我覚醒とも言い、

そして、その気づき、「悟り」、理解が重ねられ、深められ、

マインド等含めた存在全体に浸透し、

その理解、その「悟り」が自然に、日常的に生きられるようになることを

真我実現(悟りの実現)とも言っています。


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最近のセッション例(記事投稿したものから一部抜粋させて頂いております。)

feelさんから頂いたセッションの感想(2017年4月23日投稿)

在るという立ち位置が長くなるにつれ、現れの世界も落ち着いてまいりました。

とにかく楽になってきました。ありがとうございました。
       

K.Mさんから頂いたセッションの感想(2017年4月13日投稿)

日常では、ある体験を通して、個人の視点は一面的である、ということをより深く実感し、
全体であることが大切である、ということを改めて強く感じました。

O.Kさんから頂いたセッションの感想(2017年4月7日投稿)

今週は在るから、身体、思考、感情が
起こっているんだという
気づきが起きた瞬間がありました。


H.KIさんから頂いたセッションの感想(2017年4月3日投稿)

ほんと、この頃は、予定のない解放感というのか、心地いいという感じです
”退屈だ”という思考が起こらなくなっているんだと思いました。

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