真我の受容

ここでは、「真我の受容」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているM.S(いしぽん)さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させてただきます。

M.S(いしぽん)さま

感想ありがとうございました。

> > 無空 さま
> >
> > M.S(いしぽん)です、今朝はセッションありがとうございました。
> >
> > 今日はセッション一時間前から恐怖が起こるという状態でのセッションでした(汗)
> >
> > 前回のセッションの翌日、マハラジさんの「アイアムザット」が届いてとても嬉しかったのですが
> > 翌日から何やら体調不良と物凄いネガティブな思考に巻き込まれるという状態で
> > しかも今朝は恐怖が起こるという…
> >
> > ですがセッション中に気づいたのは「必死で守ろうとしている」という事です。

それもマインドの本性、分離、多様性等に基づく(この現れの世界では身体等を守るためにも必要な)生存本能とも言える自然なものです。

セッション中も話されていたましたが、本質の方に近づいていくと、
あるいは、本質の方が近づいてくると、
マインドは、「消えてしまうのではないか」等の怖れ等を抱くことがあります。
> >
> > 共鳴の、特に後半の瞑想の時に
> > 身体が緊張している、強張っている、身構えている、という感じに気づきました。
> >
> > あとはうっすらですが、何となく
> > 「手放したら何も無くなってしまって、悲しい・虚しい」という感覚もありました。

すでにすべてが在る、自己はすべてそのもの、満ちているそのもの、充溢そのもの、無限そのものであることを深く知ると、
そのような感覚も変容していきます。
(現れの中における関係性等から起こってくる自然な感情が消えてしまうわけではありません。
それは状況により、より純粋な形で起こってくるようになります。
在るの理解、自己理解の深まりにより、認識力、感受性等も増していきます。)
> >
> > 広々としたスペースは感じるのですが、そこが空っぽで、何もなくて透明で、空しい、寂しい、と感じたのです。
> > 今まであったものが(もしくはあると思い込んでいたものが?)、無くなると寂しい、というか。
> >
> > そしたら無空さんから、その緊張が緩んで行くと(開いて行くと?)無の質というか「在る」の様々な質を味わえる
> > と言われて、なるほど!と思いました。

認識の主体に(緊張した)マインドがミックスされており、ある意味、まだ「無」の表面しか感じ取れていない状態とも言えますね。
> >
> >
> > 私は幼少期からとにかく常に緊張していて、それが成長するにつれて恐怖になり、
> > 今までの人生の殆どは「その恐怖を何とかしよう」とすることでした。
> > しかし何ともならずにここまで来たのですが、でもそのお蔭でここまで来ました。
> >
> > 色んなセッションやカウンセリングを受けて来たのは
> > 恐怖を何とかして、自分の夢を成し遂げ「成功」したいと思ったからですが
> > 恐怖はそれを、ことごとく阻み、邪魔し、そのお蔭で「私」は、「とにかく幸せになりたい」と渇望し
> > 「もはや真我しかない」と思うようになりました。
> >
> > しかしその過程で色んな学びと理解が訪れました。
> >
> > なにせ他人が「当たり前」に出来る事が、恐怖によってできない。
> > 色んな事を諦めざるを得ませんでした。
> > でも他人からは私の「恐怖」は見えませんし、分かりませんので
> > 誤解され非難され責められる事が多々多々ありました。
> >
> > でもそもそも私が「普通・一般・当たり前の事が出来ない」自分を責め続けてきたのです。
> > その自分を、そして責めた他人を、そして起こる事を、受容せざるをえない、という
> > とにかく「マインド的に」、受容を鍛えられてきた人生、
> >
> > それは、真我の受容に近づくためだったのかな、と。

今から振り返れば、そのように見ることができますね。

すべては時を超えてひとつである、
それ(ひとつであるもの)が、すべて(それ自身の現れのすべて、あるいは、それ自身であるすべて)を支え、
すべてを育み、すべてを包みながら、
ひとつとして、時の流れの中で、そして、時を含み超えて働いているのが分かりますでしょうか。
> >
> > 無空さんが「受容から入って行く」、というような事を言われたのはそういう事なのかなと。

全肯定、全受容は、在るの在り方のひとつです。

それは愛(相対を超えた愛、存在の愛)でもあります。

在るのひとつの在り方はすべてにつながっています。

在るのひとつの在り方、在るのひとつの側面は、

そのひとつひとつがすべてを含んでおり、また、すべてそのものです。

在るのひとつの在り方を貫くことで、すべてが開かれていきます。
> >
> > とにかく受容し、「あるがまま」受け入れ、(受け入れても大丈夫だと自己信頼して)開いてゆく。
> >
> > でも、今まで「守ろう」として固く緊張して閉じて来たマインドと身体は、開くのが恐い。
> > 色々と「考える」のは、「守りたい」からです。

はい。
> >
> > だけどお蔭で「真我って何だろう」と考えて色々理解が起こりました。。。

注意を向けることはとても大切です。
> >
> > でもなかなか「考える事」が手放せない・・・のですが、
> > 今日の共鳴では「考えが出てこようとするんだけどなかなか出て来れない」という
> > 奇妙な体験をしてしまいました(汗)あんなのは初めてです。。。

在る(全体)の力(愛)です。
それは、(マインド、個人、部分の力で)押さえ込んでいるのとは違います。
存在全体としてそのようである、ということであり、
それは、後に(しこりや歪み、不自然さ等)何も残しません。
> >
> >
> > そういえば、緊張している時って緊張している事に気づきません。
> > リラックスして初めて緊張してたんだな、とわかるのですが
> >
> > 私はセッションやセラピーを受けた後によく肩こりや腰痛など起こしていました。
> > 身体のどこかに何かしらの症状が出るのです。
> >
> > ゆるむからこそ、色んなものが出て来るし、気づけるんですね!

そうですね。
> >
> > 「開く」、ある意味で進んでいる、クリアになってきているからこそ、
> > 色んなものが出てきているんですね。

はい、その通りです。
> >
> > 今、メールを書いていて気づきました。なるほどなるほど(^^;
> >
> > 一気に緩みたい、ラクになりたいとマインドは思いますがそうは問屋が卸してくれないんですね(^^;
> > 積もった雪が少しずつ解けていくように、自然に、少しずつ緩んで、開いて行くんですね。

それが自然で無理がなく、トータルです。
マインドは性急ですが、部分的に力づくでは、どこかに不自然さや歪みが残る場合があります。

> > そして雪解け水が土の中に浸透しながら濾過されていつか澄んだ地下水になるように
> > 真我というか全体にその変化が浸透していくのかな、…と書いて、なるほどなるほど、と思いました。

とてもよい理解ですね。
文章からも、プロセスの、そして、その一瞬、一瞬の、とても自然な感じと美しさ、尊さ等が感じられます。
> >
> > 長くなりましたがそんな感じの2015年最後のセッションの感想です。
> > 2016年も宜しくお願い致します。
> >
> > ※ちなみに本日、4回分のセッション代金を振り込みましたので、お時間あります時にご確認下さい。

確認させて頂きました。
ありがとうございました。
> >
> > M.S(いしぽん)

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
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