それは、在って無く、無くて在る。

ここでは、「それは、在って無く、無くて在る。」 に関する記事を紹介しています。
今回はセッションを受けられているR.Uさんから頂いたメールと無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。(その1)

(一部補足修正箇所あり)

こちらは、無空庵第一ブログに載せていたR.Uさんの体験談(2011年7月19日掲載)を移設したものです。

(無空庵第一ブログにあるこれまで皆さんから頂いたセッションの感想のうち、新しい方のものをひとつかふたつ、こちらのブログに移設させて頂いております。)

それ以前のものは、無空庵第一ブログの左サイドバー「カテゴリ・■セッション体験談・他のR.Uさんの体験談・他のところにありますので、ご参考になさってください。)

第一ブログ案内1-2

(上記ご案内はリンクになっておりませんので、お手数をおかけいたしますが、URLを入力、あるいは、「無空庵」等で検索して頂きますようよろしくお願い致します。)

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R.Uさま

こんばんは。
頂いたご質問についてですが、
他の方の参考になる言葉も起こってくるかもしれないので、書いてみました。
(それでも、メールでのご質問への返信は相当時間がかかりますので、やはり基本はセッションでお応えということで。)

> 無空さま
>
> おはよう御座います。
> 予約の調整、ありがとう御座います。
>
> では 11日(月)の13時15分でお願いします。
>
>
> 質問がありますが、セッションの時に聞くのを忘れそうなので書いておきます。
>
> 「思考」が湧いてくるのは真我からですが この思考はいわば
> 常にチャネリングしているような物なのでしょうか?

大きな意味ではそのように考えることもできるかもしれせんが、内側で起こってきたものすべてをチャネリングしていると考える必要はありません。

起こってきた思考に焦点をあて、それと同調したときにはチャネリングと呼べるかもしれませんね。

もしチャネリングするなら、(在るをより確かなものにしていくという点では)沈黙(真我)とチャネリングするのがいいですね。

そうするとマインドが静まり、沈黙とひとつになることができます。

そして、互いの距離がゼロになれば、チャネリングは消滅します。

思考を受け取っているのは、個人。
それに捉われず、巻き込まれずにただ気づいているのが真我。

(思考が起こっていく源も真我、そして、それを受け取っているのも真我、真我だけが在るという視点もあります。)

思考なしでも、必要なことは為されます。
さらに言えば、思考が起こる前に、すでに沈黙の中ですべてのことは為されています。

沈黙の中では、

すべてが為されている=何も起こっていない

です。

それが現れたのがこの世界です。

色即是空

在る=無

それは、在って無く、

無くて在ります。

これをそのまま受け入れ、味わえるのなら、すでに真実の中にあります。


思考があったとしても、(ある意味)それは後付けのようなものです。

思考が起こっていると気づいたら、その気づいた気づきそのもので在ること、思考よりも、そちらに焦点を当てるようにされるといいですね。



次回に続きます。
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