本質的な普通

ここでは、「本質的な普通」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられているMonaさんから頂いた感想と無空の返信を、参考までにご紹介させて頂きます。

Monaさま

感想ありがとうございました。

> 無空様
>
> 先週も素晴らしいセッション、ありがとうございました。
> 普段は存在に意識を向けることはあまりないため、セッションは貴重な時間だと感じています。

はい、それ(在る・真我)がより自然なものとなってくると、(もともと、自然さそのもの、普通そのものでもありますから)
日常の中で、改めてそれに意識を向けるということは、なかなか難しいことでもあるとも言えます。
そういう意味でも、それ(在る・真我)自身の自覚、そこからの更新、さらなる開かれのための機会というのは、
とても貴重なものだと言えますね。
また、日常の中では、常に集合的な影響もあり、その影響を受けていつの間にか本質が見えなくなってしまったり、
そのことにすら気づけなくなってしまうこともありますから(ある意味、自然さは同じですが、その純度等が変わってきます。)、
純粋に存在意識を向ける時間を持つということは、やはり大事ですね。

> では、感想をお伝えします。
>
> 最初の共鳴
> 普通の広がりを感じました。周りの環境に関係なく、本質的な普通は当たり前にいつもあるものだと感じました。そこに在ると、在るべきところに在ると感じ、落ち着きを感じました。

本質的な普通、それは、日常にいつも在りながら、なかなか純粋には感じられないところでもあります。
(他の様々な現れと、ある意味一緒にあるため、また、すべての現れの基底、あるいは、背景に在り、
あるいは、すべての現れの中に静かに浸透してあるため、目立たず、気づかれにくいとも言えます。)
それを改めて思い出し、再認識、再確認(と同時に、初認識という側面もあります。)することで、
自己はより確かなものとなり、また、よりトータルなものとなり、再更新されていきます。

何か意識を向けることは、生命、光、愛を与えること、
存在、自分自身(本質的な普通でもあります。)に意識を向けること、自己を自覚、認識することは、
自分自身にいのちを与えること、
自分自身にいのちを改めて吹き込むこと、
それが、在る(真の自己・愛)の自己更新です。
>
> アイコンタクト
> 愛が静かに流れ込み、ハートと共鳴し、静かな喜びに包まれました。

共鳴、自己確認により、自然に起こるものですね。
>
> 瞑想
> 呼吸をするごとに内側からほぐれていく感覚がしました。ピュアなハートに包まれ、安らかに眠っているような心地よさを感じました。
>
> ハートの共鳴
> ハートから愛をもらいました。心地よく優しいエネルギーを受け取りました。

自己が自己に与える愛ですね。
>
> 立場をかえて
> 愛が広がっていくことを感じ、それもまた心地よく感じました。

どちらも自分自身(在る・真我・愛)の在り方(受け取ること、与えること)であり、また、動きでもあり、心地よいものですね。

(より細かく言えば、愛として在ることが在り方(本質)であり、愛を受け取ったり、与えるという動き、働き、機能、行為が
本性とも言えます。本質と本性は、ひとつであるものの不可分で分けることができないもの、切っても切り離せないものです。
それであることにより、それが自然に起こります。
それであるがゆえ、そうなります。
ただそうであります。

そのため、ただ在ることがすべてを為す━真に在るであること、真の自己であることがすべてを為す━
ただ在ることで、すべてが為される、為されている、と言えますし、
ただひとつであるものの中で、すべてはただ起こっていると同時に、
本質的には、何も起こっていない、とも言えます。
そのような在るの在り方が、何も起こっていない素晴らしさと
すべてはただ起こっている素晴らしさの両方を至高のものとしています。)

>
> 立場なし
> 愛の積み重ねが広がり、そこに溶け込んで在りました。

素晴らしい在り方でしたね。
>
> 次回もどうぞよろしくお願いいたします。
>
> Mona

こちらこそよろしくお願いいたします。

無空
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