自己理解は深いからこそそこに至福もあります

ここでは、「自己理解は深いからこそそこに至福もあります」 に関する記事を紹介しています。
今回は、セッションを受けられている青さんから頂いた感想と無空の返信を
参考までにご紹介させて頂きます。

青さん

感想ありがとうございました。

> 無空さん
>
> セッションをありがとうございました
>
>
>
> 昨日のセッションでは
>
> 引き続いて深いところが癒されて
>
> 浄化の進むのを感じました

はい、そのようなセッションになりましたね。
>
>
>
> 青の深いところでは
>
> やはりまだこう。。あって欲しいとか
>
> こうあるはずだ。。などの思いのようなものがあるようです
>
>
>
> 先日も現れの世界でそのような一連の流れがありました
>
> 見えている世界や
>
> マインドの世界では
>
> 深いところで癒されている部分からほんの少しずれて解釈しているように思いました

そこに気づけることが大事です。
>
>
>
> マインドは常に自分を正当化するんだなという感想です

はい、マインドの性質を(良い悪いではなく)ただ知っていきましょう。
>
>
> しかしそのマインドももとをたどれば
>
> 真我の願い
>
>
> 経験も体験も素晴らしいのだと思います

全くもってその通りです。
>
>
>
> さて
>
>
> 最初の共鳴では
>
> まだ話切れていないマインドのエネルギーや
>
> 大きな全体のエネルギーを感じていました
>
> 青の焦点はそれらネガティブな感情に向かってしまっておりました

浮上してきているものは、抑え込まずに出し切った方がいいですから、

それでOKです。
>
>
> アイコンタクトでは
>
> (最近
>
> ひどいネガティブを味わうことがあったのですが)
>
> さらに現時点での様々な方々の心の状態で
>
> 真我に向かうことの真実の姿が見切れない感覚とも言い換えることができるでしょうか
>
> 無空庵さんでのセッションで関わる方々のマインドの浄化において
>
> 無空さんがどのようにされているのか
>
> 質問をさせていただきました

それぞれの方に合わせて、それぞれに、ただひとつの在る(愛)から です。
>
>
>
>
> 真我が真我で聞き話す時に流れる感覚を味あわせていただいている
>
> その味わいは青を深く癒すものでありました
>
>
> 聞きながら
>
> 一方
>
> 先に開き感じていた全体に向かい広がって繋がる意識を見ていました
>
>
> (青には気になっている無空庵の仲間が数人いるのです。。それは
>
> ダイレクトに誰がということでお話しの中でお名前が出てきている方はもちろん
>
> 出てきていない方々に対しての在り方に対してどうにも理解できないものがあったのです
>
>
> 青は無空庵、無空さんのセッションは唯一無二これほどのシンプルなセッションを知らず
>
> シンプルがゆえに指し示されて
>
> また振り返り自我のマインドが浮き上がってくるのも味わうようなことです
>
>
> そうやって精査されて
>
> またより明らかになっていくものが
>
> 明らかに輝きだすそのような感じでしょうか

そのようにも言えますね。
>
>
>
> すいません
>
> 話しが始まってしまって時間を頂きました
>
> ありがとうございました
>
>
>
>
>
> 瞑想では「核」

大事ですね。
>
>
> ハートの共鳴では
>
> 嬉しい
>
>
> 立場をかえてでは
>
> いのちの深遠の大きな流れ
>
> それ自身でもあり
>
> その理解は至福そのものなのだなあ

そうですね。
>
>
>
> 立場なし・ニュートラルでは
>
> スッキリ
>
>
>
> でした

最後に、スッキリとなり、本当によかったです。
>
>
>
>
>
>
> 人として
>
> 真我で生きること
>
> その有様というのはそれぞれでもありますが
>
> こと真我に対する理解を口にすることは
>
> 真我が実現されていることとは
>
> まったく別なことという理解なんです
>
> さらに解脱もまた同じです

そのようにも言えます。
>
>
> 自己理解は深いからこそそこに至福もあります
>
> 理解は無限ですね

そうですね。
>
>
>
> ちょっと知ったくらいで
>
> どやさ!!って(笑)思います!!!
>
> (このマインドにも気がついておきましょう~~)

その通りでもありますが、やはり書かれてあるように、

そのマインドにも気づいて在りましょう。

ここのポイントに関し、何度かご紹介しておりますが、

ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT」からご参考までに。

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質問者
ラーマクリシュナ・パラマハンサの妻であるサーラダー・デーヴィは、彼の弟子たちの行き過ぎの
努力をよく叱ったそうです。
彼女は、彼らを熟する前に摘み取られたマンゴーに比較して、「どうして急ぐの?あなたが完全に熟し、
甘く、芳醇になるまで待ちなさい」と彼女はよく言ったそうです。

ニサルガダッタ・マハラジ
何と彼女は正しいことか!
多くの者たちが、完全な真我実現前のつかの間の体験で夜明けを昼と間違え、過剰な自尊心から
彼の得たわずかばかりでさえも台無しにしているのだ。
謙遜と沈黙は、どんなに進歩していてもサーダカ(真我の探求者)にとって本質的なものだ。
完全に成熟したジニャーニ(賢者)だけが、己に完全な自発性の発揮を許すことができるのだ。

質問者
あるヨーガのアーシュラムでは弟子が光明を得た後、沈黙を七年、十二年、あるいは、十五年、
または二十五年にわたってまでも守っていくといいます。
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシでさえも教えはじめる前に、彼自身二十年もの沈黙を守ったのです。

ニサルガダッタ・マハラジ
そうだ。内なる果実は熟さなければならない。
それまでは戒律を守り、気づきのなかに生きることが必須となる。
徐々に修練はより微妙になっていき、最後にはまったく形のないものとなる。

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また、「理解は無限」ということに関しても、一箇所だけご紹介させていただきます。

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質問者
探求は終焉するときが来ます。
探求者は残るでしょう。

ニサルガダッタ・マハラジ
いいや。探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。

質問者
探求とは、欠けていること、欲していること、未完成、そして不完全を意味します。

ニサルガダッタ・マハラジ
いいや。それは不完全と未完成の拒絶と拒否を意味する。
実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存在の根本である真我を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。
それと同時に、それ以外のすべての落ち着きのない切望が終わらなければならないのだ。
 実在、神、あるいはグルの探求は、真我の探求と同じだということを理解しなければならない。
ひとつが発見されると、すべては発見されるのだ。
「私は在る」と「神は在る」があなたのマインドの中で区別不可能となったとき、何かが起こる。
そのとき疑いの余地なく、神が存在するのはあなたが在るからであり、あなたが存在するのは神が在るからだと知るだろう。

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>
>
>
>
> 継続の恩寵を心から感謝し
>
> また精進していきます
>
>
> ありがとうございました
>
>
>
>
>
> 青

ありがとうございました。

無空
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