■真我・本当の自分

ここでは、「■真我・本当の自分」 に関する記事を紹介しています。

ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚め、本当の自分を実現する!

※こちらのブログは、無空庵第一ブログ「悟り・覚醒・真我・意識の目覚め・無・空・本当の自分を知る方法 ゼロ意識共鳴で心の平和・愛と幸せを実現」(2010年1月~2015年11月)を継承したものです。
これまでのブログは相当量の記事が蓄積され、「目的の記事を探すのに時間がかかる」などのご指摘をいただいたこと等もあり、 読者の方の利便性も考慮し、今後の記事はこちらのブログ(無空庵第二ブログ)に掲載致します。
また、過去の記事で必要と思われるもの等はこちらのブログにも掲載、または移設いたしますので併せてご覧ください。
また、過去の記事のほとんどは、これまでのブログにて引き続きご覧いただけます。


真我はただ在る。ただ自分自身(愛)である。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で、真の自己、本当の自分を知る。「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」こと(自分自身であること)の素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・無限の愛と幸せ・真の平安を実現!

無空庵では、スカイプを利用し、、ゼロ意識共鳴個人セッションを行っています。
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識場の共鳴ワークであり、心の変容法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!

※多忙のため、セッションに関するお問い合わせの返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、同様の理由により、申し訳ございませんが、読者の方からのセッション以外に関するご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。

★公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも意識参加自由。
毎週木曜日21時30分から30分間。 2011・11・10~

本当の自分とは


(こちらの記事は、無空庵第一ブログから移設したものです。)

本当の自分とは、どの視点、どの立ち位置から見るかで、その答えも違ってくるかも

しれません。

個人をベースに、現れの領域に関して見ていけば、その多様に現れる様々な質、

それぞれの資質、個性、特質等を見ていくことになるかもしれません。

また、自分探し、本当の自分探し等の言葉がありますが、それを自我、個人を含め、

この変化し続ける現れの世界の中に見ていくならば、

自分探しに終わるがくることはないということが言えます。

(もちろん、次々に変化していく新しい自分を探していく、ということを楽しめれば
それは素晴らしいことです。)

本当の自分、変わることのない本質は、

マインドを超えたところに在る


次々と変化し続ける自我、個人、マインドではなく、変わることのない自分、

そういう意味での本当の自分、本質、真の自己、真我とも言われるそれは、

マインドを超えたところに在ります。

それが、真の意味で、自分探し、あるいは、マインドの探求を終わらせることができます。

(真我自身の自然本性である、それ自身を無限に知っていくというプロセスは続いて
いきます。
それは、本当の自分を知った上で、欠けたものがないまま、満たされたまま、続いていきます。
参考:ニサルガダッタ・マハラジ「I AM THAT」より
『探求者は消え去るが、探求は続く。
探求は究極であり、永遠の実在だ。』
『実在の探求自体が実在の動きなのだ。
ある意味では、すべての探求は真の至福、実在の至福のためのものだ。
しかし探求ということで、私たちはマインドを超えた光としての、意識的存在の根本である真我を意味している。
この探求が終わることはけっしてない。』)

狭義の「本当の自分」、広義の「本当の自分」


それは、現れの世界にもありながら、同時にそれを超えています。

本当の自分、真の自己、真我は、すべてを貫いています。

現れの領域だけでなく、その源を含めた視点からは、本当の自分とは、

現れては変化し、そしてまた消えるということを繰り返している自我、個人ではなく、

その源であり、また、そこから現れすべて貫いている本質、真我、真の自己が

そうであると言うことができます。

それは、相対を超え、時空を超え、変わらずに在るものという意味で、

「本当の自分」という言い方ができると思います。

また、そこから現れた一時的で、個別性を持つ自我も含め、全体を「本当の自分」

と言うこともできます。

前者は、変わることのない本質部分、ある意味狭義の「本当の自分」、

後者は、変わることのない本質、そして、そこから現れた一時的な現象としての自分、

個人、自我をも含めた広義での「本当の自分」、

あるいは、よりトータルな視点からの「本当の自分」という言い方ができると思います。

本当の自分が実現されていくプロセス


まず、変わることのない本質部分、ある意味狭義の「本当の自分」を知り、

そして、それを変わることのない確かな土台として、

そこから現れた自我を含め、すべての現れも「本当の自分」であると理解、統合されていく

プロセスがあります。

参考:ラマナ・マハルシ「あるがままに ラマナ・マハルシの沈黙の教え」より

【質問者:

「ブラフマンは真理である。世界(ジャガト)は幻想である」とは
シュリー・シャンカラーチャーリアの」常套句です。
しかし、別の人たちは、「世界は実在である」と言います。
どちらが真実なのでしょうか?

ラマナ・マハルシ:

どちらの言葉も真実である。
それらは異なった霊性の段階について、異なった視点から語られたものである。
真理の探究者(アビャーシ)は、「つねに存在するものが実在である」という定義から進みはじめる。
それから彼は世界を非実在として捨て去る。
なぜなら世界は変化するものだからである。
このように、変化するものを非実在として捨て去っていくことで、探求者は究極的に真我にたどり着く。

無空補足:真我=本当の自分

その実現のなかで、彼はすべての存在がひとつとして在ることを見いだす。
そのとき、最初に非実在として捨て去られたものも、ひとつとして在ることの一部分だったことが理解されるのである。
実在のなかに吸収されれば、世界もまた実在である。
真我の実現のなかではただ存在だけがあり、他には何もない。

質問者:

バガヴァーンはマーヤ(幻想)と実在が同じものだと言われます。
どうしてそれが可能なのでしょうか?

ラマナ・マハルシ:

シャンカラーチャーリアは彼のマーヤーの見解について、人々から理解されないまま批判された。
彼はこのように言った。
(1)ブラフマンは実在である。
(2)宇宙は非実在である、そして
(3)宇宙はブラフマンである。
彼は第二番目のところで止まらなかった。
なぜなら、第三番目が他の二つを説明しているからである。
それは、もし真我として知覚されれば宇宙は実在であり、真我から分離したものとして知覚されれば宇宙は非実在だということを意味している。
したがって、マーヤーと実在はひとつであり、同じものなのである。

質問者:

そうだとすれば、世界は、本当は幻想ではないのでしょうか?

ラマナ・マハルシ:

真理の探究者の段階では、あなたは世界が幻想だと言わなければならないだろう。
他に道はない。
ある人が、自分は実在であり、永遠に、全てに遍在するブラフマンだということを忘れ、はかない身体であふれた宇宙のなかのひとつの身体を自分自身だと思いこんで、その迷妄ゆえに苦しんでいるとき、あなたは彼に世界は実在でしかなく、それは迷妄なのだということを気づかせなければならない。
なぜか?
なぜなら、真我を忘れた彼の視野は、外側の物理的な世界のなかに浸っているからである。
あなたが外側の物理的な世界は非実在だということを彼の心に焼きつけないかぎり、彼が内側に向かい内観することはないだろう。
ひとたび彼が真我を実現すれば、彼自身の真我以外に存在するものは何もないと知るだろう。
そして彼は宇宙全体をブラフマンとして見るようになるだろう。
真我を離れて宇宙は存在しないからである。
人が、すべての源である真我を見ずに、外側の世界だけを実在で不変のものとして見ているかぎり、あなたは彼にこの外側の宇宙は幻想でしかないと伝えなければならない。
それはどうすることもできないのだ。
紙を見てみなさい。
われわれは文字だけを見ている。
文字が書かれている紙に気づくものはいない。
文字がそこにあろうとなかろうと、紙はそこに在る。
あなたは文字だけを実在と見なしている人に、それはただ紙の上に載っているだけで非実在、幻想なのだと言わねばならない。
賢者は紙と文字をひとつと見なす。
それゆえ、ブラフマンと宇宙もひとつとして見るのである。

本当の自分とは、すべてのすべて


源もそれ(真我、本当の自分)であり、現れもまたそれである。

すべてはそれであり、それ以外あるものなし。

相対、二元を排除せず、それらを含み貫く一元的な視点、あるいは、

全体的な視点からは、そのような言い方ができるでしょう。

本当の自分を知り、それが実現されていくと


「真我」というタイトルの記事のところにも書きましたが、「本当の自分」を知ることにより、

より現れ(現象)から自由になっていきます。

より安心が増し、存在全体が落ち着き、安定していきます。

生命もより活性化し、より生き生きとしていきます。

本当の自分、真の自己、真我は、

喜び、幸せ、平和、愛、そして、生命そのものでもあります。

本当の自分をより深く知れば知るほど、それらは自然に増していきます。

本当の自分を知る方法 (ゼロ意識共鳴)


無空庵では、本当の自分を知るものとして、真我の共鳴(ゼロ意識共鳴)という形で

本当の自分を知り、それが実現されていくお手伝いをさせて頂いております。

そして、多くの方が、本当の自分、真の自己、真我、真実を生き始めています。

個人体験もまた、非常に貴重で素晴らしいものであると言えますが、

それも含めた上で、本当の自分を知り、それを生きる、

それが自然に生きられるということは本当に素晴らしいことです。

人生、生きることの奥行きは無限に増し、とても味わい深いものとなっていきます。


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最近のセッション例(記事投稿したものから一部抜粋させて頂いております。)

o.kさんから頂いたセッションの感想(2017年8月13日投稿)

セッションでお話しを聞いてくださって
すっきりしました。
こうやって定期的にセッションを
受けさせて頂いている
おかげでそこまでダメージも
受けず、マインドが優位に
なりかけて本質から外れていきそうな時
また本質を思い出させて
くださってありがとうございます。


Monaさんから頂いたセッションの感想(2017年8月6日投稿)

いのちの鼓動を感じると、いのちが注ぎ込まれる感覚がありました。
そして、いのちの躍動と情熱を感じました。

Yokoさんから頂いたセッションの感想(2017年7月28日投稿)

ただある、そして

それでいい、それでいいがずっと降りてきていて、

今ここにいる感覚がそれでいいと共にやって来ました。

K.M(のびのび)さんから頂いたセッションの感想(2017年7月20日投稿)

個人の立ち位置にあったときとは、自分自身の認識がまったく違います。

深く、広く、大きく、満ちている自分。

影響を受けようもない安定した自分。

立ち位置が違うので、見え方、感じ方がまったく違います。

世界は、軽やかで、味わい深いです。

明確な認識、理解が安らぎをもたらしています。

真我とは


(こちらの記事は、無空庵第一ブログから移設したものです。)

真我とは、本当の自分、真の自己、

また、それは無であり、空であり、愛そのもの、平和そのものでもあります。

サンスクリット語では、「サット・チット・アーナンダ(存在・意識・至福)」とも表現されており、

それは、存在そのもの、気づいている意識、至福そのものです。

近年の2大覚者とも言えるラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジが言及している

のも、真我(存在・実在・在る)についてです。

真我とは、自我、思考、感情、様々な事象、現象、世界、森羅万象すべてを含めた

あらゆる現れの源であり、また、同時に、その現れたすべてでもあり、

それはすべてのすべてであり、覚者方が、「それだけがある。」と言っているものです。

真我覚醒


それは、もともと在り、すべてを支え、すべてを育み、すべてを包んでいるもの

でもありますが、

多くの場合、気づいている意識でもある真我(現れの源としての真我)が

そこから現れた自我とミックスされていて、

純粋なそれ、

真我、本当の自分には、純粋な状態では気づかれていません。

(それはすべてのすべてでありますが、はじめに、現れの源である変わらない
本質部分としての真我に気づかれ、
その変わらない本質部分である真我を土台として、そこから、その現れも同じく
真我である、その本質においてはまったく同じ真我であると理解され、
統合されていくプロセスがあります。)

そして、その状態、その在り方では、分離感を伴う自我が主体となり、

自我が唯一の自分であるという理解をもとに、

様々な経験、体験がなされます。

もちろんそこには、素晴らしい体験もたくさんありますが、真我の視点、

すべてはひとつであるという視点が欠けていると、

深刻さ、不自然さ、重さ、複雑さ、苦しみ等も増してしまう可能性があるとも言えます。

それら苦しみ等から根本的に脱却するには、

まったく違う立ち位置、違う視点に、自然に立てるようになることが必要です。

そして、それを可能にするのが、本当の自分、真の自己、真我、真実に気づくこと。

真我覚醒です。

真我の目覚め


自分は、個人、自我であったと思い込んでいたところから、真の自己、本当の自分、

真我に目覚めるのです。

(覚醒後も、自然な必要性等から個人感覚も起こってきますし━より透明で、
軽やかな個人感覚になっていきます━、
必要な習慣、記憶等は、全体の調和の中で自然に働きます。
ただ、覚醒、理解が深まれば、本当の自分とは真我であるという理解が、
起こってくる個人感覚等すべてを支え、
それらにも浸透し、とてもバランスがとれ、全体でひとつとして安定し、
とても自然な状態になっていきます。)

ある意味、本質、真実に対し、眠っていた状態、無意識であった状態から、

“目覚める”という表現もできると思います。

それは、“すでにそうであったものに気づくこと”です。

またそれは、それまでの思い込みや観念からの解放でもあります。

真我実現


真我をそれ自身として知ることにより、

(覚醒が起こっても、自我、マインド、個人が、真我を知ったとし、
それが主体になっているうちは、
それは、覚醒したエゴ、悟った自我という言い方もできるかもしれません。
それは、真の覚醒、真の悟りとは言えません。
主体が個人から真我へシフトしていく必要があります。
あるいは、個人が真我に溶ける、または、真我の直接的な理解が個人に浸透する、
個人が真我の深い直接的でトータルな理解に貫かれ、純化、変容、成熟する必要が
あります。)

思考、感情、そして、それらを所有する個人からより自由になっていきます。

問題と思っていたことが問題ではなくなっていきます。

(状況も変わっていく場合もありますし、状況はそのままでも、
それを問題とは捉えなくなっていきます。
深刻さ、重さ、不自然さ、複雑さ等が減っていきます。)

自由が増し、喜びが増し、創造性も増していきます。

真我をそれ自身として知ることにより、愛にあふれ、感謝、思いやり等も増していきます。

より自然で、軽やかで、楽で、シンプルになっていきます。

落ち着きが増し、穏やかさも増し、くつろいで、安らいでいられるようになっていきます。

人生の奥行き、生きることの味わいもより深まっていきます。

それは、他の何かを知ること、他の何かに気づくことではありません。

自らに覚醒すること、

自己覚醒、

自己認識、

自己実感、

真我としての真我についての直接的な自己理解です。

そして、多くの場合、真我に気づいても、それまでの自我の習慣、パターンが

多く残っています。

そこから、真我で在ることの実践を繰り返し、それが自然なものとなること、

それが自然に生きられるようになることを

真我実現という言い方もできるでしょう。

(ある意味、恒常的、恒久的な真我実現という言い方もできるかもしれません。
状況等により、あるいは、真我が日常的に実現されるようになるまで、
一時的な実現、一時的に真我がトータルに現れるということはあります。)

それは、本当に素晴らしい状態、素晴らしい在り方の実現です。


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最近のセッション例(記事投稿したものから一部抜粋させて頂いております。)

o.kさんから頂いたセッションの感想(2017年8月13日投稿)

セッションでお話しを聞いてくださって
すっきりしました。
こうやって定期的にセッションを
受けさせて頂いている
おかげでそこまでダメージも
受けず、マインドが優位に
なりかけて本質から外れていきそうな時
また本質を思い出させて
くださってありがとうございます。


Monaさんから頂いたセッションの感想(2017年8月6日投稿)

いのちの鼓動を感じると、いのちが注ぎ込まれる感覚がありました。
そして、いのちの躍動と情熱を感じました。

Yokoさんから頂いたセッションの感想(2017年7月28日投稿)

ただある、そして

それでいい、それでいいがずっと降りてきていて、

今ここにいる感覚がそれでいいと共にやって来ました。

K.M(のびのび)さんから頂いたセッションの感想(2017年7月20日投稿)

個人の立ち位置にあったときとは、自分自身の認識がまったく違います。

深く、広く、大きく、満ちている自分。

影響を受けようもない安定した自分。

立ち位置が違うので、見え方、感じ方がまったく違います。

世界は、軽やかで、味わい深いです。

明確な認識、理解が安らぎをもたらしています。