M.S(いしぽん)さん体験談・他

ここでは、「M.S(いしぽん)さん体験談・他」 に関する記事を紹介しています。

ゼロ意識共鳴で、真我・無限の愛である本当の自分に目覚め、本当の自分を実現する!

※こちらのブログは、無空庵第一ブログ「悟り・覚醒・真我・意識の目覚め・無・空・本当の自分を知る方法 ゼロ意識共鳴で心の平和・愛と幸せを実現」(2010年1月~2015年11月)を継承したものです。
これまでのブログは相当量の記事が蓄積され、「目的の記事を探すのに時間がかかる」などのご指摘をいただいたこと等もあり、 読者の方の利便性も考慮し、今後の記事はこちらのブログ(無空庵第二ブログ)に掲載致します。
また、過去の記事で必要と思われるもの等はこちらのブログにも掲載、または移設いたしますので併せてご覧ください。
また、過去の記事のほとんどは、これまでのブログにて引き続きご覧いただけます。


真我はただ在る。ただ自分自身(愛)である。シンプルな生き方。シンプルな在り方。
無空庵で、真の自己、本当の自分を知る。「愛」(存在の愛)と「空」、そして「在る」こと(自分自身であること)の素晴らしさを知る。
悟り・覚醒・無限の愛と幸せ・真の平安を実現!

無空庵では、スカイプを利用し、、ゼロ意識共鳴個人セッションを行っています。
個人セッションは、ゼロ(仏教では空)の意識場の共鳴ワークであり、心の変容法、本当の自分を知る方法、無限の愛と自由、心の平和、本当の幸せ、真我覚醒、真我実現を促す方法です。

ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、フーマン、エックハルト・トール等の言及する「悟り」「覚醒」「真我」「本当の自分」の実現をサポート!

※多忙のため、セッションに関するお問い合わせの返信には、数日~1週間くらいかかることがあります。また、同様の理由により、申し訳ございませんが、読者の方からのセッション以外に関するご質問にはお答え致しかねます。ブログへのコメントにもお返しできないことが多いと思いますが、あわせてご了承願います。

★公開・週一合同ゼロ意識共鳴
※どなたでも意識参加自由。
毎週木曜日21時30分から30分間。 2011・11・10~

今回は、セッションを受けられているM.S(いしぽん)さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させてただきます。

M.S(いしぽん)さま

感想ありがとうございました。

> > 無空 さま
> >
> > M.S(いしぽん)です、今朝はセッションありがとうございました。
> >
> > 最近、「何のために真我共鳴をするのか」の意味が、ガラリと変わった気がします。
> > それまでは「恐怖を無くそう」とか、「幸せになりたい」だったのですが
> > つい先日、自分が思っていた「こうなったら幸せ」という「目的」が、
> > 全く違っていた事に気づいてしまい、
> > それで…真我に対する考えというか関わり方が変わったような感じです。

いいですね。
> >
> > 何というか、一言で表すと、「真我を生きる」、です。

本質の方にシフトしてきましたね。
> >
> > それまでもずっと真我は生きていたのですが
> > …いや、マインドの気づかない底流で真我が生きていたというか
> > マインドはその上でドンブラコと流されていたというか
> >
> > 真我ってスゴイです(汗)。
> >
> > もはや「真我を生きる」という言葉に尽きます。

とても伝わってくるものがあります。
> >
> > でも無空さんがおっしゃったように、すぐには方向転換できないので
> > ヨイショ、ヨイショと、意図的に方向転換していきます。

はい、変わらない本質としての真我と、
その他に、その現れである思考、感情、身体レベル、
さらには、集合的なレベルなどにこれまでの習慣がありますので、
意識的に行っていく必要があります。

存在全体でひとつとして、真我を生きる、
真我が生きられる、

それが本当の真我の体現、真我実現と言えますね。
> >
> >
~事務連絡につき、省略させて頂きます。~

> > 宜しくお願い致します。
> >
> > M.S(いしぽん)

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
今回は、セッションを受けられているM.S(いしぽん)さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させてただきます。

M.S(いしぽん)さま

感想ありがとうございました。

> > 無空 さま
> >
> > M.S(いしぽん)です、今朝はセッションありがとうございました。
> >
> > 今日は「在る」という事を再確認したセッションでした。
> > それと同時に「自分」というものも大事だなと痛感した次第です。
> >
> > 「自分」…マインドでもなく、何というか、軸というか
> > …言葉でうまく言えませんが、「軸」です(汗)
> >
> > そうでないと、外側の色々な「情報」に、流されたり惑わされたりして
> > グルグルしてしまう。
> >
> > でもそうやって…、色々と惑わされて混乱して、今日のセッションで
> >
> > 「そうか、『在る』は不安解消ツールではないんだ」と腑に落ちたので、
> >
> > ある意味、良かったんですが。
> >
> >
> >
> > と書いて、今、気づいたのですが、「在る」が軸なんですね。

はい^^
> >
> > 「在る」が、「自分」の軸である、と。

真の自己理解により、自分=自己=在るとなってくると、

あるいは、立ち位置のシフト、主体のシフト、逆転、

変わらない源(軸)が主、現れ(現れている自分、個人)が従となってくると、

上記表現から、「自分」の  の部分がとれ、

「在る」が、軸である、と。

あるいは、「在る」が、軸であり、それがすべてである、と。

等の表現になってきます。


> >
> > だから「あるがままに」感じたりする事が大事である、と…

本質である在るを軸として見た現れた自分側の理解として、とてもよい理解ですね。

(在る自身の直知、直覚が起こり━今回の理解にもこれが含まれているとも言えますが━

、その直接的な理解の反映として同じような表現が現れてくることもあります。)

今の立ち位置にあるときに、その理解は大切です。

それがマインドの成熟、ひいては存在全体の成熟を促していきます。

在るは、源として在り、また、現れとして現れ、

自らをより深く知っていきます。
> >
> > 多分、それは今までのセッションで何回も言われた事だと思うのですが(汗)
> > それが腑に落ちるまでは、色々、グルグルしますね…。

それぞれに必要で自然なプロセスがあります。

グルグルが、存在全体の厚み、深み、奥行きを増していくのに役立っています。

すべては、在るであり、すべては愛です。

そして、すべてはひとつです。

(すべては、分離していないひとつの在るであり、

すべては、分かたれていないひとつの愛です。)

腑に落ちるまでにかかった時間、その間に起こった出来事、為された行為等、無駄なものは何もありません。

それらは、立ち位置、理解により、統合されていきます。

真の立ち位置、真の自己理解により、真に統合されていきます。

そして、統合されたものが、さらなる理解の深まりにより、更新されていきます。
> >
> > それでは来週も宜しくお願い致します。
> >
> > M.S(いしぽん)

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
今回は、セッションを受けられているM.S(いしぽん)さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させてただきます。

M.S(いしぽん)さま

感想ありがとうございました。

> > 無空 さま
> >
> > M.S(いしぽん)です、今朝はセッションありがとうございました。
> > 最近は本当に鬱と身体の痛みや症状で、何もできず伏せっている事が多く
> > しかもセッションでお話ししたように自分の感情をガンと揺さぶるような事があり
> > それで気づく事もあるにはありますが…。
> >
> > 余談ですがこの鬱々が始まったのはマハラジさんの本が届いた辺りからで
> > あの本、最初は、読むと眠くなって読み進められないという事が多々ありました(汗)
> > 一年の初めに大浄化なのかなとマインドは思ったりします。。。

そうかもしれませんね。
ゼロ意識共鳴の積み重ねにより、真実(今回はマハラジの本)との共鳴が起こりやすくなっているようですね。
> >
> > それにしてもここ数回のセッションでは延々と愚痴を語ってしまい(汗)
> > 大変申し訳なく思います。。。

それも浄化のひとつということで。
> >
> > 自分の中ではもう既に完全解決したと思っていたような事も出てきたりして(汗)

真の力(愛、全体)は、顕在意識レベル、個人レベルだけではなく根こそぎ解消していきます。
それがゼロ意識(在る、愛、全体)共鳴です。
> >
> > そして今日の共鳴は…もう、ノドから吐き出したいほどの壮絶な寂寥感が
> > お腹からノドのあたりにかけて湧きあがってきていました。
> > 具合悪くなりそうなほどでした。
> >
> > この寂寥感…、一体何なのかと、マインドはつい癖で考えてしまうのですが
> > 全く理由が見当たらず、何かを思いついてもこじ付けのようで
> >
> > ただ、ふとさっき浮かんだのは、
> > 私は昔から、何かの作品の「最終回」を読むと物凄い寂寥感に襲われる
> > という事です(汗)
> >
> > 自分の作品でも他者の作品でもそうですが、その物語の「最終回」を読むと
> > 何だかその世界が終わった気がして、物凄い寂しさに襲われるのです。
> > なので好きになった作品にはドップリ何年もハマり込みますし、
> > 自分の作品の場合は、なかなか終わらせる事ができない、という…。
> >
> > もしかしたら「自分」という物語から離れる事に壮絶な寂しさを感じてるのかなと
> > 思ったりもしました。マインドのこじ付けかもしれませんが。。。

マインド的な「自分」という物語の終わりを感じられているということは、
とてもよいところまで来ている、ということでもあります。

(それでも起こることはただ起こり続けます。
起こることの“物語化”が終わるという表現の方がより適切かもしれません。)

物語(物語化)が終われば、真実(愛、よろこび)が残ります。

(物語に執着があるうち、執着、その時点においての不必要な習慣等が残っているうちは、
そこに在る真実、それである真実を
愛、よろこび等感じられない場合があります。
━一時的な体験は起こる場合もありますが。━
主体の純化、変容、成熟、また、在るに何度も戻りながら、自覚、
開かれた意識の中で、そこに在ること、それであることに馴染んでいくことで
真実を感じる力、感受性、認識能力、真の理解等を育んでいく必要があると言えます。)
> >
> > ともかく、そういった「原因」はともあれ、、、
> > セッションで無空さんがおっしゃった、
> > 「恐怖」も真我が起こしているというか、共に感じているというか
> > それが・・・・・。。。
> >
> >
> > すると寂寥感も真我が起こしている、となり

そこに在るもの、起こるものは純粋で、ニュートラルであり、
それを感じる側の在り方、立ち位置等により、“様々に感じられる”という視点もあります。

また、感じる側の在り方、立ち位置、理解等、そこから来る自然性、必要性に“応じて”、
様々な思考や感情、気づき、理解、その他すべての現象が“真我から自然に起こってくる”、という視点もあります。

ただこの場合、起こってくる現象は、現れた個人だけが原因というだけではなく、

(個人はいない、全体だけが在るという視点からは、原因は何もない、あるいは、原因はそれ自身、
第一のもの、真我、全体であるそれ自身が在ることが唯一の原因と言えます。)

無限に現れた多様性が無限に関係していて、その関係性の中で、様々なことが様々に起こっている、
という理解が、個人を中心にした視点ではなく、全体的な視点からはより適切なものと言えるでしょう。

すべてはただひとつのものである、全体としてひとつであるという理解、

さらには、ただひとつであるものから無限の多様性が起こり始めた、という時間的な視点ではなく、

時間を超えている“それ”は、はじめから一であり、同時に多であった、という視点、

(それは始まりも終わりもないもの、
永遠そのもの、
また、始まりであり、終わりであり、その間のプロセスのすべてあるもの、
アルファであり、オメガであるもの、
最も大きなものよりも大きく、同時に最も小さなものよりも小さいもの、
ゼロであり、無限であるもの、
常に起こり続けながら、真には何も起こっていないもの。)

ただひとつのものであるそれ自身における、それ自身の中での相互作用、
それ自身のふたつの相とも言える一である“それ”と、多として現れている“それ”との相互作用、
一も真であり、多もまた同じく真である、
それはまったく同じである、という視点等が開かれてくると、
理解の助けになるかもしれません。

補足(書かれたことの補足の補足というかんじですが)が長くなりましたが、話を元に戻し続きを書かせて頂きますと、

起こったものを感じる方の現れも真我である、
真我だけが在るという視点からも、
すべては真我から起こっている、
(真我から起こるものは真我であり、愛から起こるものは愛であり、全体から起こるものは全体であり、
“それ”から起こるものは“それ”である。“それ”以外在るものなし。)
真我が在るから、そこからただ起こるものが起こっている、

(セッション中は、そこまでお話しできませんでしたが、
“起こしている”ではなく、“ただ起こっている”。
視点の違いからそのように表現される場合もありますが、
「真我が“起こしている”」という表現には、物語が入っているとも言えます。)

起こそうという意図、意志なく、ただ自然本性により起こっている、
現れた個人側で感じる恐怖も、寂寥感も、真我から起こっていると見ることができます。
そして、現れた真我である個人、個人として現れた真我がそれを感じている、
と見ることができます。

様々な視点、立ち位置、理解により、様々に見ることが可能です。

真我は無限そのものであり、それ自身を無限の視点から無限に知っていくことができます。

それぞれの視点、立ち位置、理解は、

(すでにすべてであり、ニュートラルであるそれ、あるいは、無限の可能性そのものであるそれから)

それぞれの世界をつくり、それを体験させ、自分自身を知っていくことを可能にしてくれます。

様々な視点、理解を持つことは、それだけ存在そのものを大きく、豊かで、幅、厚み、奥行きのあるものにしてくれます。

無限そのものであるそれ自身の無限性をより無限なものにしてくれます。

愛をより愛にし、自分(自己)をより自分(自己)にしてくれます。

無限の自己更新、無限の自己拡大、無限の自己成長は、そのようにして起こっていきます。

何も起こっていないその中(愛)で。

> > それは自然本性で、原因はワカランというか…。
> > そして真我はその全てを既に受容しているからそれが在る訳で、
> > その立ち位置に立つには真我と同様と言いますか、受容しかないとなります。
> > それが受容できる位マインドが成熟しなければならないという事なのでしょうか…。
> > どうやったら成熟するかと考えるのはまたマインドなので考えませんが
> >
> >
> > でも、もう、何と言うのでしょうか、、、
> >
> > 無理だ、と感じるんです。「個人」には。
> >
> > 今まで本当に色々やってきて、「自分が」何とかするのだと頑張ってきました。
> >
> > 色々考えましたし。
> >
> > だけどもう…光と闇、苦痛と快楽を超えた、言葉で言うならジャンプした「上」
> > 反対側というのか、違う所に立たないと、無理なんだな、と。

真には、今在るところから別のどこかへ行く、ということではなくまさしくそのまま、
真にそのままである、ということでもあるわけですが、
そう在れたときの感じ方、理解としては、そのまま何も変わっていないというのと同時に、
まったくすべてが変わってしまった、
書かれてある言葉で言えば、ジャンプした「上」、反対側というのか、違う所とも
言える、違う立ち位置、違う次元、違う世界に在る、ということができます。
> >
> > でもそれは、、、自分では、出来ず。無力感を感じるというか…。

出来るのは、在るの実践。(日常を丁寧に在る、丁寧に生きるということも含みます。)
それに意識を向けること。
それに意識を向け、それとひとつとなり、それそのものとしての自分を思い出すこと。
あるいは、それそのものとしての自分をはじめて知ること。
真に知ること。

個人である自分を強めるような実践は、在るの実現を、ある意味、遠ざけるとも言えますが、
個人をより透明にし、真の自己、在るへのシフトを促すような実践、あるいは、在るとの統合が起こっていくような
実践は有効です。

すべてはただ起こっている、個人ではどうしようもない、意識を向けることも在るから起こっているので
どうしようもない等言われることもありますが、それは個人側、自己を個人として認識している側、
あるいは、極端な言い方をこの場面に限って使わせて頂くのであれば、自己を個人と誤解している側の理解不足によるものと言うことができます。

現れの世界でいう選択、自由意思と、現れを超えた在るの視点からの必然は、別のものではありません。
現れと、それを超えたものとを同じステージに並べて、ひとつの視点、考え方、理解から比べることは
ナンセンスです。
まったく意味がありません。
ひとつの考え方、理解で、両者を貫くことはできません。
現れの世界での個人の自由意思、選択、実践は有効であり、また必要です。

本質、現れの源であり、現れを超えたところから見れば、選択も自由意思もないという視点、理解になりますが、
統合された視点、あるいは、現れを含みながらもそれを超えた視点、
ただひとつであるものの中で起こっているそれ自身における相互作用、

それ自身がそれ自身に働きかけている(愛)、
その働きかけに対し、それ自身が応答、対応、反応している(愛)、

という視点からは、ただ起こることを起こさせているのはただ起こっているもの(愛)ではあるが、
それはやはりすべてのすべてであり、すべての中には、当然、自由意思、選択という質も含まれている、
ということができます。
その質が現れの中で個人を通して起こり、それがまたそれ自身である真我を刺激し、そこから起こるものを起こさせている、
という見方がひとつあります。

(ただこの視点を、全体性に開かれていない個人が、個人の都合で真我を利用しようとすることに使われる場合は、
個人を強化することにもなり、また、その結果は全体と調和していないもの、全体としてのバランスが欠けたものになることがあります。
全体の一部でもある個人━同時に、本質的には全体そのものでもある━が、個人の都合でそれを活用しようとした場合、そのようになることがあります。
なぜなら、個人は全体と離れたものではないからです。)

個人体験の真っただ中にある場合は選択、自由意思はとても重要なものと言えますし、
また、個人を含み超えようとしている場合にも、その実践が個人を透明にし、在るへのシフトを促すようなもの、
あるいは、両者を統合するようなものであれば、それは有効であり、必要なものであるということが言えます。

(場合によっては、個人を十分強め、十分に大きくさせることで、落ちること、透明になることもありますが、
そこからなかなか抜け出せない場合もあるでしょう。
やはり、それぞれのタイプ、今どの位置にあるか等により、それぞれであるということが言えます。)

真の自己を忘れてしまった真我、真我がそれ自身を思い出すため、
あるいは、まだ自己を知らない真我がそれ自身を知るための実践です。

全体がそれ自身である全体に働きかけています。
怖れ等も含み超えた真の愛そのものである本当の自分、
すべてのすべてである本当の自分を知っていきましょう。

個人としての体験も貴重でかけがえのないものです。
真我の自然本性(愛)からそれは起きました。
そして、その同じ愛(自然本性)が、それを含み超えたところ、あるいは、在り方へと、
シフトしていくよう働きかけてきています。

> >
> > 逆に言うと「自分で何とかしたかった」「達成したかった」と思っていたという事でもありますし
> > 真我に全く委ねられない、信頼がない、ということでもあります。
> >
> > というか、書いた文章を読んで「まるで真我拒否だ」と思いました(汗)

そのような時期もありますね。
> >
> >
> > もう「それが出来ない自分はダメだ」という劣等感と自己嫌悪から
> > 「頑張ってしまう」事をやめない限りは

必要なときには、自然な頑張り(マインド的でない)は起こりますが、
頑張りがどのような在り方から、あるいは、どのようなものをきっかけとして
起こってくるかによって、その質等が変わってきますね。
> >
> > でもマインドとはそういうもので
> >
> > だから「ただそうである」という「ただ受容」しかない、のですが
> > それが真の理解で、愛、自己愛なんだな、と。
> >
> >
> > でももう少し、葛藤は続くようです(汗)

はい、起こるがままに。

そして、同時に在るの実践を続けていきましょう。
> >
> > 来週も宜しくお願い致します。
> >
> > M.S(いしぽん)

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
今回は、セッションを受けられているM.S(いしぽん)さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させてただきます。

M.S(いしぽん)さま

感想ありがとうございました。

> > 無空 さま
> >
> > M.S(いしぽん)です、本日はセッションありがとうございました。
> > 新年早々だというのになぜか色々と話をする事が起こりました(汗)
> > 無空さんのセッションを受け始めて一年経ちますが
> > 今までどうしても語れなかった事を語りました(汗)
> > それは私がずーーっと長年抱えている根源的「問題」で
> > なぜそれを今まで語らなかったのかというと
> > 「責められる」と感じていたからですが、それはとりもなおさず
> > まだ、自分が自分を責めているからなのだと気づきました(汗)

そのようなひとつひとつの気づきが大事ですね。
> >
> > なぜならセッション後に「語って良かったのか」と自責の念が湧いてきたからです。
> >
> > と同時にそこが、「愛を受けとれない」といいますか
> > (しかし実際には受け取っているのですが・・・汗)
> > でも「こんな自分を愛してはいけない」「幸せになってはいけない」という罪悪感で
> > ある意味、抵抗・葛藤しているところで
> > それで「開く」事ができないのかもしれないと思いました。
> >
> > しかし、、、もはや今まで色々やってきまして、行きつくところは「受容」
> >
> > そして「表面的に」「現れ的に」、何をしているか、というよりも
> > 在り方というのか、その根源で、どうであるか、というところなんだな、と。

はい。
> >
> >
> > 私は昔からずっと、自分の「恐怖」や「問題」を何とかしたくて
> > とにかく「自分の内面を観て」、それについて考えてばかりいました。
> > 思考や感情について考えたり感じたりしてた訳ですが、
> > 今、それを読み返すと、何だか別人が書いた壮大な小説のように感じます(汗)
> > 結局は、思考が果てしなく思考を創り出す、妄想物語と言いますか…。
> >
> > そしてそれは自分のみならず
> > 誰もがそうなんだな、と思うと、もはや誤解されようが何だろうが、仕方ないというか…。
> > そこでマインド、現れをひっくるめた「全ての受容」という事が浮かぶわけです。

はい、その在り方は、それまでの在り方とは違う在り方です。
> >
> > なぜならマインド、思考はポコポコ勝手に浮かぶ訳で、それはもう仕方がない事で
> > ただそれを信じてしまっている、その信じた事で自分が自分を苦しめているだけ、だからです。
> > (または何かが幸せだ、と信じる事で自分が幸せだと思い込んでいて、それを他人にも勧めたりしますし)
> >
> > 事実はただ事実としてそうであるだけで、起こっている事を受け入れる以外に無いのですが
> >
> > …と気づいても、なかなかその「同一化」から抜けられないのも事実だからです(汗)

徐々にですね。
> >
> > もう年末から正月にかけて本当に身体の右側が痛かったり鬱々だったりで
> > ホントに苦しいのですが(汗)お蔭で上記の事に気づいたりもしますが
> > マインドの妄想だとは思っても巻き込まれます。。。

気づいたら戻るを地道に繰り返してくことで、徐々に巻き込まれにくくなっていきますし、
(起こってくる思考も物語をつくらなくなってきます。)
巻き込まれても早く気づけるようになってきます。

M.S(いしぽん)さんの場合は、ダグラスハーディングの指さし実験が在るを感じやすいのことでしたので、
日中、それをある程度の期間、意識的に繰り返すというのもよいかもしれません。
マインドの習慣の力もとても強力です。
その習慣を変えていくためにも、地道な実践の繰り返しが必要です。
> >
> >
> > うーん、でも、何となく、重要な変化が起こっているような気もしてきました。
> > とりあえず、考えず、起こるがままです(汗)

肯定、受容

(全肯定、全受容)

ですね。
> >
> > それでは、来週も宜しくお願い致します。
> >
> > M.S(いしぽん)

こちらこそよろしくお願い致します。

無空
今回は、セッションを受けられているM.S(いしぽん)さんから頂いた感想と
無空の返信を参考までにご紹介させてただきます。

M.S(いしぽん)さま

感想ありがとうございました。

> > 無空 さま
> >
> > M.S(いしぽん)です、今朝はセッションありがとうございました。
> >
> > 今日はセッション一時間前から恐怖が起こるという状態でのセッションでした(汗)
> >
> > 前回のセッションの翌日、マハラジさんの「アイアムザット」が届いてとても嬉しかったのですが
> > 翌日から何やら体調不良と物凄いネガティブな思考に巻き込まれるという状態で
> > しかも今朝は恐怖が起こるという…
> >
> > ですがセッション中に気づいたのは「必死で守ろうとしている」という事です。

それもマインドの本性、分離、多様性等に基づく(この現れの世界では身体等を守るためにも必要な)生存本能とも言える自然なものです。

セッション中も話されていたましたが、本質の方に近づいていくと、
あるいは、本質の方が近づいてくると、
マインドは、「消えてしまうのではないか」等の怖れ等を抱くことがあります。
> >
> > 共鳴の、特に後半の瞑想の時に
> > 身体が緊張している、強張っている、身構えている、という感じに気づきました。
> >
> > あとはうっすらですが、何となく
> > 「手放したら何も無くなってしまって、悲しい・虚しい」という感覚もありました。

すでにすべてが在る、自己はすべてそのもの、満ちているそのもの、充溢そのもの、無限そのものであることを深く知ると、
そのような感覚も変容していきます。
(現れの中における関係性等から起こってくる自然な感情が消えてしまうわけではありません。
それは状況により、より純粋な形で起こってくるようになります。
在るの理解、自己理解の深まりにより、認識力、感受性等も増していきます。)
> >
> > 広々としたスペースは感じるのですが、そこが空っぽで、何もなくて透明で、空しい、寂しい、と感じたのです。
> > 今まであったものが(もしくはあると思い込んでいたものが?)、無くなると寂しい、というか。
> >
> > そしたら無空さんから、その緊張が緩んで行くと(開いて行くと?)無の質というか「在る」の様々な質を味わえる
> > と言われて、なるほど!と思いました。

認識の主体に(緊張した)マインドがミックスされており、ある意味、まだ「無」の表面しか感じ取れていない状態とも言えますね。
> >
> >
> > 私は幼少期からとにかく常に緊張していて、それが成長するにつれて恐怖になり、
> > 今までの人生の殆どは「その恐怖を何とかしよう」とすることでした。
> > しかし何ともならずにここまで来たのですが、でもそのお蔭でここまで来ました。
> >
> > 色んなセッションやカウンセリングを受けて来たのは
> > 恐怖を何とかして、自分の夢を成し遂げ「成功」したいと思ったからですが
> > 恐怖はそれを、ことごとく阻み、邪魔し、そのお蔭で「私」は、「とにかく幸せになりたい」と渇望し
> > 「もはや真我しかない」と思うようになりました。
> >
> > しかしその過程で色んな学びと理解が訪れました。
> >
> > なにせ他人が「当たり前」に出来る事が、恐怖によってできない。
> > 色んな事を諦めざるを得ませんでした。
> > でも他人からは私の「恐怖」は見えませんし、分かりませんので
> > 誤解され非難され責められる事が多々多々ありました。
> >
> > でもそもそも私が「普通・一般・当たり前の事が出来ない」自分を責め続けてきたのです。
> > その自分を、そして責めた他人を、そして起こる事を、受容せざるをえない、という
> > とにかく「マインド的に」、受容を鍛えられてきた人生、
> >
> > それは、真我の受容に近づくためだったのかな、と。

今から振り返れば、そのように見ることができますね。

すべては時を超えてひとつである、
それ(ひとつであるもの)が、すべて(それ自身の現れのすべて、あるいは、それ自身であるすべて)を支え、
すべてを育み、すべてを包みながら、
ひとつとして、時の流れの中で、そして、時を含み超えて働いているのが分かりますでしょうか。
> >
> > 無空さんが「受容から入って行く」、というような事を言われたのはそういう事なのかなと。

全肯定、全受容は、在るの在り方のひとつです。

それは愛(相対を超えた愛、存在の愛)でもあります。

在るのひとつの在り方はすべてにつながっています。

在るのひとつの在り方、在るのひとつの側面は、

そのひとつひとつがすべてを含んでおり、また、すべてそのものです。

在るのひとつの在り方を貫くことで、すべてが開かれていきます。
> >
> > とにかく受容し、「あるがまま」受け入れ、(受け入れても大丈夫だと自己信頼して)開いてゆく。
> >
> > でも、今まで「守ろう」として固く緊張して閉じて来たマインドと身体は、開くのが恐い。
> > 色々と「考える」のは、「守りたい」からです。

はい。
> >
> > だけどお蔭で「真我って何だろう」と考えて色々理解が起こりました。。。

注意を向けることはとても大切です。
> >
> > でもなかなか「考える事」が手放せない・・・のですが、
> > 今日の共鳴では「考えが出てこようとするんだけどなかなか出て来れない」という
> > 奇妙な体験をしてしまいました(汗)あんなのは初めてです。。。

在る(全体)の力(愛)です。
それは、(マインド、個人、部分の力で)押さえ込んでいるのとは違います。
存在全体としてそのようである、ということであり、
それは、後に(しこりや歪み、不自然さ等)何も残しません。
> >
> >
> > そういえば、緊張している時って緊張している事に気づきません。
> > リラックスして初めて緊張してたんだな、とわかるのですが
> >
> > 私はセッションやセラピーを受けた後によく肩こりや腰痛など起こしていました。
> > 身体のどこかに何かしらの症状が出るのです。
> >
> > ゆるむからこそ、色んなものが出て来るし、気づけるんですね!

そうですね。
> >
> > 「開く」、ある意味で進んでいる、クリアになってきているからこそ、
> > 色んなものが出てきているんですね。

はい、その通りです。
> >
> > 今、メールを書いていて気づきました。なるほどなるほど(^^;
> >
> > 一気に緩みたい、ラクになりたいとマインドは思いますがそうは問屋が卸してくれないんですね(^^;
> > 積もった雪が少しずつ解けていくように、自然に、少しずつ緩んで、開いて行くんですね。

それが自然で無理がなく、トータルです。
マインドは性急ですが、部分的に力づくでは、どこかに不自然さや歪みが残る場合があります。

> > そして雪解け水が土の中に浸透しながら濾過されていつか澄んだ地下水になるように
> > 真我というか全体にその変化が浸透していくのかな、…と書いて、なるほどなるほど、と思いました。

とてもよい理解ですね。
文章からも、プロセスの、そして、その一瞬、一瞬の、とても自然な感じと美しさ、尊さ等が感じられます。
> >
> > 長くなりましたがそんな感じの2015年最後のセッションの感想です。
> > 2016年も宜しくお願い致します。
> >
> > ※ちなみに本日、4回分のセッション代金を振り込みましたので、お時間あります時にご確認下さい。

確認させて頂きました。
ありがとうございました。
> >
> > M.S(いしぽん)

こちらこそよろしくお願い致します。

無空